尾畑潤子
厳しい暑さの続いた8月。私の住まいする泉称寺では、この夏も村の子どもたちの「おつとめの練習」が、8月29日まで行われ、早朝のひと時を、50人ほどの子どもたちと共に爽やかな時間を過ごさせてもらいました。
本堂には、震災後に始めた福島原発事故の被災者支援のバザーとともに、2年前に95歳で亡くなられた泉称寺の総代、正木正明さんから私たちへの「遺言」を掲げています。
「―戦争は殺さなければ殺される。これほど悲惨なことはありません。やってはいけないのです。平和な日本を未来に!」
という言葉です。
二度と同じ過ちを繰り返さないためにと、小学生や中学生、そしてお寺においても戦争の悲惨さと平和の大切さを伝え続けて下さった正木さん。その時代に、地域と寺が一丸となって「お国のために戦ってこい」と送り出された経験を持つ正木さんは、「戦争は単なる人殺しでしかない。そのことを伝えるのが仏教徒である私の責任。子どもたちにいのちの大切さを伝えるのが村の寺の使命」そう言い続けて命終えていきました。その言葉を私は忘れません。
毎朝、子どもたちの元気な『正信偈』に唱和しながら、この子どもたちに、そして、この夏も放射能の汚染が続く福島から三重の地に保養に来た子どもたちに、未来を生きる全てのいのちに、私たちはどんな世を手渡していくのか。私の歩みが大きく問われていると思う夏の日々でした。
今、この国は、「特定秘密保護法」が成立し、今年7月には「集団的自衛権」の行使容認が閣議決定され、「戦争のできる国」がにわかに現実味を帯びる状況です。戦後の69年を「憲法九条」によって保たれてきた「平和」が、いま大きく揺らいでいます。
『大無量寿経』に「無有代者」(『真宗聖典』60頁)という言葉があります。だれもが他と代わることのできないかけがえのないいのちを生きています。私もいまかけがえのないいのちをいただくものとして、「非戦」の願いを受け継ぎ、原発再稼働についても黙認しない、もの言うひとりであり続けたいと思います。