015あるお葬儀を通して

佐々木達宣

先日、あるお同行の葬儀を勤めた時のことです。出棺の際、タクシーに遺影を持った女性が同乗してきました。亡くなったのはその方のお母さんです。

お母さんは数年前ご主人を亡くし、お一人で生活されていましたが、1年くらい前から体調を崩し、それ以来、車で1時間ほどの所に嫁がれた娘さんが、週に1回程度、お母さんの世話をしに、実家へ帰っておられたそうです。娘さんはお勤めされており、仕事と家事の合間を縫って実家へ帰るのは、さぞや大変だった事でしょう。

葬儀を無事に終えた安堵感からか、車中で娘さんは私にこんな事を話してくれました。

最初の頃、週に1回でも、往復2時間の道のりを実家へ帰るのは、正直「面倒くさいなあ」と思ったそうです。ところが、ある時期からその面倒くささが無くなり、逆に実家に帰ることが楽しみになってきたというのです。

こうした生活に慣れてきたといった事や、お母さんへの思いもあるでしょう。でも本当の所は、往復2時間の車の運転にあったと仰るのです。

それは、これまでの生活に追われた忙しさの中で、ゆっくり考え事をすることさえ出来なかった。ところが、実家への行き帰りの2時間ほどの間、お母さんとのこと、亡くなったお父さんとのこと、家族のこと、そして自分自身のことをゆっくり考えることが出来たそうです。

「最初、実家へ帰るのは母親のため、と思っていました。でも実は、忙しい自分のために、母親が時間を与えてくれたのだ、と思えるようになってきたのです」そう娘さんは私に話してくれました。

さらに、そう思えるようになると、お母さんをはじめ、ご主人や子どもさんたちにも有難いなあという気持ちが生まれ、「こんな時に不謹慎なのですが、今、私は少し幸せな気持ちなのです」と仰っていました。

周りのことばかりに気を取られていると、自分を見失ってしまいます。しかし自分をしっかり見つめることによって、周囲も見えてくるのです。

葬儀式は、亡き方を偲ぶ仏縁であります。ただ、偲ぶという言葉には、懐かしむという意味の他に、思いを巡らす、感心し味わう、という大変趣のある意味が有ります。

娘さんはお母さんとの生前の繋がりを通して、お母さんの願いを聞き届けました。そして今回、お母さんの死を仏縁として、この先もお母さんと出会い、そして何を願われているのかを聞いていくことでしょう。

改めて、葬儀式は学びの場であるなあ、と思いました。