池田勇諦
このたび私たちの三重教区が桑名別院と共にお勤めする宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要に当り、一言私たちの立ち位置を確認いたしたく思います。
それについて聖人の晩年のお作である『正像末和讃』の第一首、「釈迦如来かくれましまして、二千余年になりたまう、正像の二時はおわりにき、如来の遺弟悲泣せよ」(『真宗聖典』500頁)と叫ばれていることが、どうしても注目されてなりません。
親鸞聖人の生きられた鎌倉初期は、時代社会の大きな転換期であり、戦いに明け暮れた波乱の時代でした。それだけに人びとは生きる依りどころを失い、また仏教は本来の使命からかけ離れ、ただ厄除け祈祷の具と化してしまった状況の中で、仏教の衰頽(すいたい)を歎く仏教徒は勿論いても、釈迦の昔に思いを馳せるか、第二の釈迦弥勒の出現に淡い望みをかけるかで、いずれも現前の自己を忘れたありさまでした。
このことは、そのまま今日の私たちの問題であります。よく“親鸞に帰れ”の声が聞かれますが、現在只今の自己を問題にすることがなければ、虚ろな言葉でしかありません。現実は開山聖人の昔に帰ることも、また第二、第三の聖人の出現を夢みることもゆるしません。
いまこそ先達に導かれて「親鸞聖人かくれましまして、七百五十年になりたもう、正像の二時はおわりにき、聖人の遺弟悲泣せよ」と、現実への悲しみと、それゆえに「弥陀の本願信ずべし」(正像末和讃『真宗聖典』500頁)の大道を進むほか、私たちにどんな立ち位置があるというのでしょうか。