007今、いのちがあなたを生きている

田代俊孝

ビハーラ活動をしていて臨床の場でとてもすばらしい言葉を聞かせていただくことがあります。たとえば、「私、病気して良かったと思います。今まで人生をとても粗末に生きてきたように思います。今、人生を二度生きた感じがします。病気は不運だけど不幸せではない…」「一日一日が尊い時間だった。生かされている貴重な日々が送れた」と。

これらは病名を告知され、仏法とご縁のあった方たちのコメントです。この方たちは、自分の人生に納得し、それを引き受けておられます。この方たちがこのようないのちの感覚を、いったいどのようにして持たれるようになったのでしょうか。

通常、私たちは、健康はプラス、病はマイナス、生はプラス、死はマイナスといった価値観を持っています。そして、生と死すらも、すべてが思い通りになると思っています。

しかし、誰一人として老病死から逃れることはできません。自身のありのまま、つまり、死を自分ごととして見つめたときに、思い通りにならないことを思い通りになると思っていた私の思いが破れるのです。その絶望を通して、生と死も、すべてが絶対他力の仏の大きなみ手の中にあり、本願に生かされていたことに気づかされるのです。

思いがけず生まれ、思いがけない人生を歩み、そして、思いもよらず死んでいくのです。思いを超えた大きな大きな働きの中に生かされているのです。仏教では思いを超えたことを不可思議といいます。南無不可思議光仏としての念仏は義なきを義とし、不可称不可説不可思議の世界を私たちに気づかせてくれるものです。ところが、その仏の大きなみ手の中にいながら、はからいをもって自分で自分を苦しめているのです。科学を絶対とする小ざかしい現代人にはなかなか気付けない世界です。科学の向こうにあるいのちの世界。それが、「共なるいのち」「つながるいのち」「涙のでるいのち」なのです。そういういのちが、今あなたを生きているのです。