伊東恵深
お正月のテレビ番組で、歌舞伎役者の市川海老蔵さんを取材した特集が放送されていました。その番組の中で、市川家には江戸時代から得意としてきた演目、「歌舞伎十八番」という18のお家芸があるのですが、現在、その大半が演じられなくなっており、それらを海老蔵さんが精力的に復活させようとしている様子が紹介されていました。
インタビューで、「なぜそんなに急いで『歌舞伎十八番』を復活させようとしているのか」という質問に対して、海老蔵さんは、「市川家は短命の家系である。初代も早い、3代目も20代で亡くなっている・・・祖父も56歳。父である第12代市川團十郎も、去年66歳で亡くなった。だから私もせいぜい生きて、そんなものだろうと。だからそれまでに片づけないといけない。あとは倅(せがれ)がやってくれれば、それでいい」と答えていました。
伝統を守り、それを後世に伝えていく。海老蔵さんは私と同じ36歳ですが、歌舞伎という世界に生きる者の覚悟を垣間見た気がしました。
翻って、私たちはどうでしょうか。三重教区・桑名別院ではこの3月に、宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌法要がお勤まりになります。一口に750年といいますが、その間、一体どれほどの先達が、親鸞聖人のみ教えに出遇われ、その歓びと感動を後世に語り伝えてくださったことでしょうか。
私たちはともすれば、すぐに「伝える」ことの重要性を説きます。しかしその前に、まずは自分自身が、後世に伝えていきたいと思う、伝わっていってほしいと願う教えに、本当に出遇えているかどうか、ということが問われているのでしょう。
御遠忌をお迎えして、750年という「時の長さ」を、「教えの重み」として、あらためて親鸞聖人のみ教えにお遇いしたいと念じております。