037あとがき

テレホン法話集「心をひらく」第36集をお届けします。昨年(2014年)一年間の36人のご法話を収めました。

社会教化小委員会では、昨年(2014年3月)の「三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」で取り上げた「原発問題」「ジェンダー問題」と、昨今、社会問題になっています「憲法九条改正」の三つの問題を2014年度の課題として、公開講座などの事業をおこなってまいりました。

またこのテレホン法話も、教区内の有縁の方々お一人おひとりが担った問題を、宗祖の教えを通してお話しいただいたものです。

法話者の多角的な視点を通して様々な問題を見たとき、問題の本質には、個人的、社会的な区別はないと教えられました。発刊にあたり関係者諸氏のご苦労に感謝申し上げます。

036念仏者のしるし

池田 徹

お念仏のいただき方が問われています。法然上人を中心とした吉水の集まりが、国家によって解体、解散させられました。1207年「承元の法難」といわれる事件です。親鸞聖人35歳の時です。その引き金となったのが『興福寺奏状』です。この『興福寺奏状』は1205年、奈良興福寺の僧侶たちによって提出された、「念仏停止(ちょうじ)」の訴えです。

なぜ、念仏を生きる者が、批判され、国家によって解散させられ、死罪、流罪という現実を突きつけられたのでしょうか。それは、念仏に生きることが、少なからず「社会」に影響を及ぼしていることをあらわしているのでしょう。

それに対しいま、私たちの念仏は、どうでしょうか。社会とか、国家からは、見向きもされず、自己満足の手段に念仏を終わらせていないでしょうか。いま、様々な問題を抱える時代だからこそ、あえて「念仏」の受け止め方が、厳しく問われているのではないでしょうか。

さて、その『興福寺奏状』には、念仏の教えに集う人々の過ちを九つ挙げていますが、その批判の内容を考えると、念仏の教えに生きるということが、どういうことなのか、念仏の教えによって、生み出される人間が、逆に読み取れるように思います。

その第9番目には、「国土を乱る失」と言われ、国土、国を乱すという過失が、念仏を生きる人のあり方として、批判されています。念仏者が、「国を乱す」ということは、その国のシステムや、価値観に呑み込まれず、自由になっていたことを表しているのではないでしょうか。当然、その国を運営する権力者からすれば、困った存在になります。また第4番目には、「万善を妨げる失」といって、その社会を中心とした善悪、優劣、上下などの価値を「無化」していたことを語っています。その国が目指している方向性を妨げ、権威、権力からも自由であった集団だからこそ、為政者は恐怖を感じて、念仏者を訴え、排除したのではないでしょうか。念仏にはそういうはたらきがあるということです。

改めて、「現代」という時代の中で、「念仏に生きる」ということが、問われています。

035帰敬式 ― 法名の名のり

訓覇 浩

三重組金藏寺(こんぞうじ)の訓覇浩です。法名、釈浩雄と申します。

師走も半ばに入り、今年も「桑名別院報恩講」をお迎えする時節となりました。

その報恩講で毎年執り行われるのが「帰敬式(ききょうしき)」おかみそりです。今日は、この帰敬式について、法名の名のりというところから考えてみたいと思います。

そもそも帰敬式とはどういう儀式なのでしょうか。桑名別院報恩講のパンフレットを開いてみると、「本来、帰敬式はお釈迦様の弟子になる、仏弟子となる式です。ですから、亡くなってから受式して法名を受けるのではなく、生きている今だからこそ人間としての生き方、在り方を問い、学んでいこうという出発を期する大切な儀式」とあり、仏法僧の「三宝(さんぼう)に帰依(きえ)することを誓い法名をいただきます」と記されています。皆さまのイメージと重なったでしょうか。

私は、この帰敬式において、とりわけ大切な意味をもつのが、法名を名のるということだと思います。

私ごとになりますが、私が、法名をいただいたのは、19歳になる夏でした。その時私は法名をいただくということを決めてはいたのですが、一方で、私のようなものが法名をいただく資格があるのだろうか、三宝に帰依するなんて言いきれないし、仏弟子と名のるなんておこがましくてできるはずがないと悩んでいました。

そういう私にある先生が、法名を名のれない私であるということは、名のれない私が法名を名のることによって本当の課題になるのですよ。名のれない私だから名のりませんというのは、誠実そうに見えて実は、自分の事実から逃げているのかもしれませんね、と教えてくださいました。その言葉は、いまも私を問い続けてくれています。

法名は、私の名のりでありますが、それは、わがこころがよくて名のるものではなく、本願が私の上に名のり出てくださっているということだと思います。こういう私であるからこそ名のり出てくださった。私の名のりが、私の名のりであることを超えて、本願に背き続ける私を常に照らし、私に生きる力を与え、新たな私を生み出し続けてくれています。

その意味で、帰敬式とは、新しい私の誕生の儀式と言うことができるのではないでしょうか。これからも釈浩雄という名を、私の生き方を照らし、生きる道をしめしてくれるものとして、大切にしてまいりたいと思います。

034土から離れては生きられない

岡田 豊

三重教区では「共に、大地に立たん」を御遠忌スローガンから、教区教化の基本理念としました。

そこで「大地」ということについて少し取り上げてみたいと思います。

この共に立つべき「大地」を考える時、思い浮かべる言葉があります。それは、宮崎駿の『天空の城ラピュタ』というアニメ映画のなかで、滅び去ったラピュタ王族の末裔、シータの語る、「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう」という、ゴンドアの谷の歌です。

どんな高邁な思想も、高度な文明も、土から離れては生きてはいけません。土を離れては滅びてしまうでしょう。

そして土とは人間の生活のことでしょう。

仏教は生活に根ざしたものであり、習俗にまでなっている。習俗になっていない宗教なら、それは宗教の名に値しない、と教えられたことがあります。それでは、真宗門徒の生活とはどういうものでしょう。毎日、勤行することがどんな生活を開くのだろうかと、疑問に思ったことがあります。

20年ほど前でしたか、観光で高山市を訪れ時のことです。郊外に山村の古民家ばかりを集めた所がありました。雪深い山里の古民家はどれも、囲炉裏のマキの煙で燻されて真っ黒でしたが、きまって一部屋だけ畳の部屋があり、そこには、お内仏がありました。それは南無阿弥陀仏を生活の中心にすえるという、村人の何代にもわたって伝承された生活態度、生きる姿勢が正しくそこに現れていると感じました。私は大きな感動を覚え、ここに真宗門徒の生活があったのかと、深い感銘を受けました。

ふりかえってみますと、それは何も特別なことではありません。私たちの町でも5、60年ほど前までは、どの家においてもお内仏があり、しかもあたり前のように、真宗門徒の生活が保たれていたように思えます。

しかし、昔は良かった、今は無くなってしまったと嘆いてばかりではいられません。真宗がどんな生活を現代の私たちの上に開いているのか、真宗がどんな課題を示しているのかを明らかにする責任が、今、私たちにあるのではないでしょうか。

033同朋会運動という言葉に託した願い

大賀光範

今年も21日より、真宗本廟で御正忌(しょうき)報恩講が始まりました。今から40年近く前、私が学生の頃ですが、警備という名目で報恩講にお参りさせていただく機会がありました。

大谷派では、昭和44年から様々な事件が起こりました。ご法主(ほっす)の周りには利権を狙う怪しげな人々が出入りし、いわゆる「法主派」と呼ばれた人々と、宗派の本来のあり方を模索しようとする「改革派」と呼ばれた人々とに分かれたようになって、宗派行政は多くの問題を抱えながらの運営でした。

そのような宗派の混乱は御正忌報恩講にまで波及してしまい、その年は宗派を離脱した寺院の関係者が、真夜中にチェーンソーをもって御影堂(ごえいどう)に乱入し、大混乱になったということも聞きました。また、報恩講では必ず拝読されてきた御伝鈔(ごでんしょう)が、御影堂まで運ばれて来ず、拝読中止になったりもしました。そのような状況だったからこそ、それぞれの地区からご門徒や僧侶の皆さんが、二泊三日ずつ交替で、警備の名目で白州や御影堂などで参拝の皆さんのお世話などを行うために真宗本廟に集まって来ておりました。

私が参加した時には、若い学生が私を含め数名いたのですが、北陸や各地のご門徒さんがそういう私たちを相手に信心談義をしてくださいました。意気込んでいた私たちは、大学で勉強していた仏教や宗派混乱の理由等を、夜遅くまでお酒を酌み交わしながら話をしました。お別れする時には、能登から来ていた門徒さんが私たちの手を握り「大谷派を背負う僧侶となって欲しい」と言葉かけしてくださったことを懐かしく思い出します。

その後、昭和56年に新宗憲が発布され、「法主制」から、門徒の首座に座り聴聞する代表者としての「門首制」にかわり、また組門徒会などの制度が整えられて、宗派の混乱は解消されていきました。

それから40年近く経て、改めて能登のご門徒の言葉を思い出すようになりました。「大谷派を背負う」の言葉は、当然のことですが、えらい坊さんになって欲しいということではありません。お念仏に生きる者になること。宗祖のお言葉を大切にして生きる者となることを願ってのお言葉だったのではないでしょうか。

今年の御正忌報恩講を迎えるに当って、混乱の報恩講で警備に集まってくださったたくさんのご門徒の願いに、私は本当に応えるような生き方をしているのだろうか。大谷派の僧侶として宗祖のお言葉を聞き続ける生活をしているのだろうか。その事が、今、改めて重く問われているように感じています。

032空しさの中で

池井隆秀

今年も報恩講のお勤めがあちこちで始まりました。年月は電光の如く経ってしまいます。この一年の中には、いろいろなことが起こってまいりました。嬉しいことも多々あり、悲しい出来事も多々ありました。それらの出来事に出会っておりながら、のどもと過ぎれば熱さを忘れるという諺のように、すべてが夢の如く過ぎ去ってしまっております。そんな時、ふと我に返ると、何をしておったのだろうかという空しさに襲われる経験をされた方もあると思います。

空しさは毎日の日常生活に流されて、生きる目的を見つけることができない姿をいうのではないでしょうか。過日(7月)中日新聞の人生のページに「人は何を求めているのか」と題して阿満利麿(あまとしまろ)氏の記事がありました。

「ある時、定年を迎えたサラリーマンのなげきを紹介する新聞記事を目にした。彼は、定年後しばらくは『毎日が日曜日だ』と自由な時間を手にしたことを喜び、かねて希望していた海外旅行やゴルフに日々を送っていた。だが、5年ほど経過した時、『やりたいことは全部やってみたが、何か空しい、これでいいのだろうか』と妻に訴えたという」と記されています。

この「やりたいことは全部やってみたが、何か空しい」という言葉は、人間のだれもが持っている心の奥底からの声(サイン)であり、「本当の道を求めたい」という切迫した気持ちが、この言葉を言わせたのではないかと阿満氏は言われます。私たちは心の奥底で「空しさ」に耐えきれないものを持っています。それは苦しみに耐えることよりも難しいことだと言われた方がありました。そのサインともいえるメッセージは、私たちが毎日の生活を送る中で、「本当に生きるとは何か」「何のために生きているのか」という問いであることだと思います。言葉を変えていえば、「私は何をなすべきか」と、また「使命ありと知れ」という要求でなかったかと思います。

『恩徳讃』に

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

ほねをくだきても謝すべし

(『真宗聖典』505頁)

とあります。そのことは私たちの一日一日が、「身を粉にしても報ずべし」「ほねをくだきても謝すべし」という使命を持って歩むことを私たちに告げられました。自己関心から一歩も出ることなく眠り続ける私から目覚め、真にしなければならないことを見出して実践していくことが求められているのではないでしょうか。

031報恩講をお迎えして

三浦 崇

霜月・11月、今年もまた、報恩講をお勤めする季節を迎えました。

東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年半余が経過しました。今尚、辛く苦しい生活を余儀なくされておられる方々のことを思うと心が痛みます。

「人間の余りの身勝手さに、思わず自然が身震いしたのではなかったのか」との震災後に語られた言葉が今も忘れられません。

先日、ビキニ事件をヒントに、1955年に黒沢明監督によって制作・公開された、三船敏郎主演の映画「生きものの記録」を観る機会がありました。原水爆の危険が身に及ぶのを恐れ、「死ぬのは仕方がないが殺されるのは嫌だ」と、ブラジルに移住して生き延びようとする老人と、その行動を被害妄想と受け取る家族や友人たち、周りの人々の姿を描いた物語です。最後に、主人公が病院の窓から見える真っ赤な夕日を指さしつつ「地球が燃えている」と叫ぶ姿で、「核問題とは何か」を示しつつ映像は終わります。

その映画の中で、放射能の危険から逃げようと、ついに狂気に捕らえられた主人公の姿を見て「こんな時世を平然と生きている我々の方が狂っているのではないか」とつぶやく老医師の言葉が印象に残りました。

「今だけ・金だけ・自分だけ」が、流行語の一つになっていると聞きましたが、それは、平然と狂ってきた我々が招いた結果ではないでしょうか。

そのような私たちの在り様を慙愧する眼を、報恩講をお勤めすることを通して、獲得したいものです。

030鏡としての仏さま

檉 歩

浄土真宗は「御本尊を明らかにする」教えだと聞いています。また、御本尊は自分を映し出す鏡だとも聞くことがあります。この二つのことばを聞くなかで、ずっとハッキリしないことがありました。私の中で御本尊というものはとても大切なものであるから、御本尊を明らかにするという事は、人生において私が大切にしなければいけないことや大事なことを見つけていくことなんだと何となく思っていました。何となくなので、そう簡単に見つかるはずもありません。

しかし、いろんな方のお話などを聞くなかで、御本尊とはこの私をハッキリさせるための鏡のような存在なのではないかと思い始めました。私たちは、自分のことを認められず周りの人をうらやんだり、さげすんだり、背伸びしながら常に他人の評価を気にして生きています。そんな自分が御本尊を明らかにするといっても、こういう事を大切にしたいとか、大事なのではないかと思う。という願望や希望で、いつまでも自分の問題になりません。そうではなくどこまでも変えられない自分だったり、目をつむりたくなる私の姿に目をそらさずに見ていける眼をいただくのではないかと思います。

私は4年前から児童教化連盟の委員長に就任しました。児童教化連盟とは子どもたちと仏様の教えをともに聞く団体です。夏に子どもたちとキャンプをするジュニア大会がありますが、委員長になってから大会を楽しめなくなっている自分がいます。日程をどううまく過ごせるか、テーマを一緒に考えていけるのか、スタッフはついてきてくれるのかなどを考えると、不安で仕方ない感覚にとらわれるようになりました。それまではそんなことを考えたこともありませんでしたが、立場が変わると責任というプレッシャーから押しつぶされそうになりました。

いつでも他人の評価を気にして善し悪しに怯えている私の姿を、委員長という立場から御本尊は照らし出して下さっていました。

しかし私は御本尊から照らし出されている姿をすぐに忘れ、目をそらして生活してしまいます。だから私は仏法を聞き続けていかなければならないのです。

029本当のありのままの私

高木 彩

映画『アナと雪の女王』の主題歌『Let it go ― ありのままで ―』という曲が話題になっています。

この映画の中で、主人公の一人エルサという王女は、自分の持つ、あらゆるものを氷にしてしまう魔力に悩み、その力を秘密にして誰にも会わないように生きていました。しかし、その魔力を他人にみられてしまったことをきっかけに、もう隠して生きるのはやめて、人里はなれた場所で、思うままに生きようとします。そのときに「ありのままで」の曲が流れるのですが…。

エルサの苦しみは、魔力のことを他の人に認めてもらえず、自分は人として間違っていると思われることに堪えられなかったからだと思います。

しかし、自分の持つモノを否定することも、拒否することもできなかったエルサは、誰も信じることができず、自分の持つ魔力を信じるしかなかったのだと思います。

親鸞聖人は、このように自分の思いや考えを中心に生きる姿を「邪見驕慢悪衆生」(真宗聖典205頁)と『正信偈』で言われています。

「邪見驕慢」とは、自分の思いや考えを正しいものとして、他の人の意見に耳を貸さず、仏法も自分の考えに当てはめて都合のいいように聞き、自分の考えに合わなければ否定したり、奇異の目で差別したりするような生き様のことを言います。

まさにエルサは、「ありのままで」と言いながらも、自分の持つ力、思い、考えだけを信じ、自分の殻に閉じこもってしまったのでしょう。

親鸞聖人は、「邪見驕慢」の衆生は、自分を頼りにしてしまうため、念仏によって救われると信じることが甚だ難しいと言われています。

それでは、救われないのかと言えば、そうではなく、この自分の力ではどうしようもない心を持ったあなたこそ救いたいというのが、阿弥陀如来の本願です。

「邪見驕慢」である私に、阿弥陀如来は、「あなたのありのままの姿に気づいてください」と呼び掛けてくれているのだと思います。

自分自身のことを人に言われると、なかなか素直に聞けません。

しかし、仏法に触れ、念仏を称えることを通して、私が何者なのかを教えてくれる、み仏の言葉に本当のありのままの自分を気づかせてもらえるのだと思います。

028出会いの力

大橋宏雄

今年も福島の子どもたちと8日間、三重県での夏休みを過ごしました。2012年から始まった「福島のこどもたちを三重へ」プロジェクトも3年目になり、毎年参加してくれる子、今年初めての子と様々な出会いがあります。

しかし私は、昨年、一昨年と子どもたちとの出会いをどこか喜べずにいました。それは私たちの出会いはどこまでも震災・原発事故を背景とした出会いだからです。出会わずに済んでいれば、それが一番よかった。どうしてもそう思わずにはいられませんでした。しかし、今年子どもたちが福島へ帰る日の朝、「この子たちに出会えてよかった」と自然に思っていました。

私にそう思わせてくれたのは、福島と三重の子どもたち同士の出会いでした。キャンプをはじめ様々な日程を一緒に過ごす中に、子どもたち同士、素直に出会いを喜ぶ姿がありました。その姿に触れて、私の中にある強張りが和らいだような気がしました。

子どもたちが教えてくれたのは、悲しみや苦しみは出会いを否定するものではないのだということです。悲しみも苦しみもあっては欲しくないものです。しかしその悲しみ苦しみがその出会いを、深く豊かなものにしているということがあるように思うのです。

「悲しいことも、苦しいことも、それは私たちの思いを超えてやってくる如来のお仕事である。そのことを明確に知るとき、悲しみと苦しみを如来に捧げるとき、悲しみは微笑みといっしょにお前を訪れる。苦しみは勇気を携えてお前のところにやってくる」

(『ー日々の糧ー清沢満之とともに』)

とは先人の言葉です。

私はこの言葉に触れるとき、きらきらとした光を感じます。それは子どもたち同士が出会いを喜ぶ姿に感じる光と重なって、私を照らしてくれているように感じています。