尾畑潤子
長く厳しい残暑も、彼岸花の開花と共に秋の訪れとなりました。「曼珠沙華」ともいわれる彼岸花は、仏教を語源とするからなのか、それとも、開花がお彼岸と重なるからなのでしょうか。地域によっては「そうしきばな」などと呼ばれて、家屋敷を飾る花とはなっていません。しかし、そんな彼岸花に懐かしさが感じられるのは、移ろいゆく秋の風情のなかで、突然のように真っ赤に咲いて、散ってゆくあり様が、不確かないのちを生きる私たちの身に重なるからなのかもしれません。
新美南吉の童話に『ごんぎつね』があります。物語は、病気の母と暮らす兵十(ひょうじゅう)が、母親のために獲ったウナギを子ぎつねの「ごん」が、ふとしたいたずら心から、川に逃がしてしまうところから始まります。
ある日、ごんは、あたり一面に真っ赤に咲く彼岸花の中を行く野辺送りの列に出会い、死んだのは兵十の母親だと知りました。いたずらを後悔したごんは、せめてものつぐないにと、こっそり栗やまつたけを兵十の元に届けますが、ごんの思いは伝わらぬまま、兵十の放った銃によって、ごんはいのちを終えていきます。
きつねと人間という立場を異にした関わりの中で、分かり合うことのできなかった悲しみが胸に沁みます。しかし、これはなにも、ごんと兵十の関係に限ったことではないのでしょう。人と人との間を生きる私たちもまた、同じ家、同じ地域、同じ国にあっても、男であるとか、女であるとか、財産や地位があるとか、最近は国益にかなうなどと、それぞれの立場に固執して、ごんと兵十と同じように、言葉の通じない世界を生きているのではないでしょうか。
他者の声を聞いていても聞こえてこない。他者の存在をみていても見えていない。分かり合えないまま、日々を生きています。そういう立場を絶対化した私たちの現実生活が、仏の世界、つまり彼岸から問われているのでしょう。
秋の日に咲く彼岸花は、別名を「柔軟花」(注)ともいうそうです。私一人を世界とするような硬直したありように、「それでいいのか」と、絶えず私に呼びかけている仏さまの願い。その願いを知らせるように、今年もまた彼岸花が咲いています。
(注)「柔軟花」 出典は『大漢和辞典』五、大修館書店刊