大橋宏雄
私はこの夏、福島の子どもたちと出会い、9日間を一緒に過ごしました。それは子どもたちの笑顔でいっぱいの9日間でした。しかし、私たちの出会いの背景には震災と原発事故があります。子どもたちの笑顔が具体的な現実として、痛みとともにそのことを突きつけてきます。
子どもたちと過ごす間、折りに触れ思い起こされてきた言葉があります。それは藤元正樹先生の「できっこないことが人間の最も深い願いじゃないですか。できることなら願う必要はない。できんから願うんだ」
という言葉です。
仏様は私たちに何も要求しません。しかし、私たちに「願い」をかけておられるのだと教えられています。その「願い」とは一体どのようなものなのでしょうか。
私たちの日ごろの「願い」というものはそのほとんどが「欲望」です。自分に都合が良いことを願い、それを叶える為に努力をします。叶わなければ何かのせいにする。私たちはそういうあり方をしているのではないでしょうか。
そういうあり方をしている「私」が目の前のこどもたちに一体何を願うのか、ずっと考えていました。そして、そのことを子どもたちに話す機会が訪れました。
私は、「あなたたちの大事な大事な人生が、大事に大事にされていくことを願い、祈っています」と話しました。それは「私」の努力でどうにかできることではありません。そして、子どもたち自身の努力でもどうにもなりません。
しかし、私たちの出会いの縁を思うとき、また私がこれまで教えられてきたことを思うと、そうとしか言えませんでした。そして、それは私自身にも願われていることではないかと思いました。
今、子どもたちの顔を思い出しながら、私の心に浮かぶのは「笑顔でいてほしい」、「また会いたいなぁ」というようなことです。しかし、その奥には、一人一人の大事な人生が、大事にされていくことを願うということがあるのではないかと思います。