梅田良惠
私のお寺の境内地を囲む石垣の上の躑躅(つつじ)が今年もきれいに花を咲かせました。
しかし、私としては、いっとき花を楽しんだ後に、重労働が待っています。それは、翌年もきれいに咲いてもらうために枝の剪定をすることです。そんな作業の合間に、ふと先日ラジオで聞いた、元京都大学教授の小川真さんという方が、世界のいたるところで、松、楢などいろんな樹木が枯れている、という話を思い出しました。
小川さんは土の中の微生物の権威として知られており、現在は衰退した海岸林の再生などに30年に渡って取り組んでおられます。私が小川さんの話の中で印象に残ったのは、次のようなことです。
「花粉症がはやりだしたころ、東京の杉の枯れ方を調べら、都心を中心に郊外に向かってどんどん杉が消えている。大気汚染により汚染物質が土に落ちて、土が痛む。そうなると樹木そのものが弱り始め、樹木自身がこれはたいへんだ、ということで、子孫を残すために花をつけ、大量の花粉が飛散することになった。その結果として人間が花粉症で苦しむことになる。花は人間に見せるために咲いているわけではない。人間はきれいだと言っているけど、木は悲鳴を挙げている」
こんな話を聞くとお寺の躑躅も毎年悲鳴を挙げながら、一生懸命花を咲かせていたのではないか、と思ってしまいました。
『阿弥陀経』に「共命鳥(ぐみょうちょう)」という鳥が登場します。一つの胴体に二つの頭を持つ鳥は、いのちを共にしており、一方の頭が毒を食らうことによって、もう一方のいのちも共に死んでしまいます。
今、私たちは昨年の震災から、原発の問題を抱えています。原発は私たちの生活を維持し、豊かにするために必要な物と言われていますが、同時に、自分たちのいのちをより危険に導く物でもあります。
極楽浄土に生まれた、共命鳥などの様々な鳥たちは、「和雅(わげ)の音(こえ)を出だす」と説かれています。「和雅」という言葉を頂くときに、その鳴き声はある方から「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道。他を生かす道は己を生かす道」と鳴いていると教えられました。今こそ、私たちはともに生かされているいのちの自覚に立ち、浄土からの音を真剣に聴くときなのではないでしょうか。