035友人の死を通して

山崎信之

3年ほど前、私に自分自身と向き合う大きな出来事が起きました。当時私は、九州は大分県にあるお寺に法務員として勤めさせていただいておりました。自分にとっては大学を卒業したばかりの年であり、いろんなことが初めてという環境で、日々学ぶことの多い生活を送らせていただいておりました。法務員のいるほどのお寺なので、日々の法務は忙しく、葬儀も多いお寺でした。

そのような生活を送り始めて半年と少々、ようやくいろんなことに少しずつ慣れてきた頃、私にとってある大きな出来事が起こりました。大学時代、最も仲が良かった友人を交通事故で亡くしてしまったのです。当時の私は、何が起こったのかということが理解できないような、少しパニック状態に陥ってしまいました。葬儀、通夜も訳が分からないような状態で過ぎていきました。この事故で友人が亡くなる2ヶ月ほど前に、休暇をいただいて再会を交わし、「また今度」と次に会うのが当たり前のように別れたばかりだったのです。この時に初めて、法務での葬儀、通夜と自分が亡くなった方の関係者としてお参りするものとでは、全く違うものであるということを知りました。「白骨の御文」では「我やさき、人やさき」とありますが、どれだけ私たちが普段この言葉を我が身のことであるというように受け取ることができないかと痛感いたしました。それとともに命の尊さの本当の意味を知り、いかに自分自身が無知であるかということを知らされたように思います。

当時はこのようなことは考えることができませんでしたが、この友人によって、私はとても大切なことを教えていただきました。私たちは今日を当たり前のように生きておるように思います。ですが、これがいかに尊いことであるかということを多くのいのちから問われているのではないでしょうか。