山口晃生
仕事仲間から「お前はアホか」と言われたことがある。儲かる仕事を捨ててまで地域のために頑張っているのだから、ある意味アホかもしれない。
しかし、これには訳がある。もう30年以上も前になるが、PTA役員を引き受けた。そして、ドッジボールの選手を選ぶ事になった。ドッジボールなら誰にでもできるし、簡単なことだとお願いするのだが、仕事で行けない、都合が悪い等、5、6人に続けて断られた。「おかしいなぁ」と思いつつ、次に、「Aさん」に電話をすると、二つ返事でOKとの事。しかも、メンバーが足らなかったら連れ合いにも言っとくので、二人分名前を書いとけばと言われた時の嬉しかった事。それ以来、頼まれたら頼む側になってできるだけ引き受けようと決心する。
それからというもの、補導委員、消防団員を始め、地区自治会長の大役も歴任した。中でも一番たいへんなのが消防で、季節や天候に関係なく、火事となれば、仕事中だろうが風呂に入っていようが寝ていようが現場へ急行、鎮火するまで帰れない。また、消防と聞くと、消火活動だけかと思われるが、東北での大津波や県南部を襲った豪雨による水害で消防団員の活動が報道されていたように、台風や大雨で警報が出れば、家の事は二の次にして地区内を巡回し倒木の除去や河川の増水点検も行う。それらすべて本業より優先で、しかも奉仕だからたいへんである。こんなたいへんな役を引き受け頑張っている私を、母はいつも喜んで見守っていてくれた。だが、その母が急死。それがご縁となり、同朋会に参加するようになった。そして、仏法を聞いていくうちにそれまでの「役だからしてやるんだ」から、させていただける力を授かっていた事を知り、その喜びが感謝の気持ちへと変わり、2年任期の処、13年間も勤め上げた。その結果、人との出会いや絆、地域との繋がりを深め、「友」という大きな財産を得ることができた。
以来32年、途切れる事なく地元の役や門徒会等、現役で仕事を持ちながら続けられたのも、あの時「いいよ」と引き受けてくれたAさんのお陰。Aさんは私にとって善知識なのである。