030感謝

藤井静仁

皆さん、感謝について考えてみたことがありますか。日常の中、周りから感謝されたことがありますか。

私は日常の仕事場(介護老人福祉施設)において、利用者様より「すまんな」とか「ありがとう」と声を掛けられると、仕事のやりがいとなり明日への仕事の励みになります。また、このような言葉は人生の最後を老人ホームで迎えた利用者様からの誓いの言葉であります。しかし、昨今、利用者様の高齢化及び重度化により意思表示できない利用者様が増える傾向で、介護者は顔の表情、身体の状態で判断しなければいけないことがあります。

利用者様は、どうしてもマンネリ化しがちな日常生活において、話をすることも無くなり、考えることも無くなると、言葉も減り、やがて表情も無くなります。また、介護者は毎日の介護の仕事に追われて、基本的な声掛けをせずに利用者様に関わりももってしまいがちになります。

私はお世話させていただいているという気持ちを忘れぬよう日々心がけるようにしています。けれども、介護者なのだから感謝されるのが当たり前と錯覚してしまう、それが人間の生身の姿であります。人は何でも自分を中心に物事を考えて判断してしまうものです。ある聞法会の講義に中で先生がそれを「都合感謝」と言われたことが自分の中で引っ掛かっています。

組織の一員として社会の中に浸かると、常に先々のことを考えていかないといけない場面に直面してしまうものです。介護現場は、利用者様のお世話をすること、人が好きなことを仕事のやりがいと感じないと続きはしませんが、その一方で、安定した施設運営のため、極力空きベッドを作らないように神経を尖らさなければいけないのが使命でもあります。時に施設サイドの考えで物事を考えてしまうのが、今の私の姿でもあります。

仏法を学び現実を過ごす中で、今、生かされているという感謝だけは日々忘れぬようにしたいものです。