池田徹
近年「生きる意欲」という課題を考えています。
我々の「意欲」は「条件的意欲」であって、思い通りに人生が動いている時はそれなりに「意欲」がある。一度、状況が壊れてしまうと意気消沈して落ち込んでいく。そして「被害者意識」に執りつかれ、周りを、自分を恨んでいくことになる。「なぜ、こんなことになったのか」と、自分の呟きに自分自身が呑み込まれ、出口のない憂いを抱えることになる。あたかも『観経』の韋提希(いだいけ)夫人のように。それは、言い方を換えると「生きる意味」の喪失であり、「未来」の喪失である。
この「意欲」という問題を学んでいく時、最近改めて関心を引くのは西光万吉さんである。明治28(1895)年に生まれた西光さんは、産み落とされた場所が徹底的に差別を受ける村であった。いわゆる「被差別部落」である。12、3歳頃から学校で直接、差別を受け始め、中学になってその激しさのあまり転校するが、新しい学校でも教師にまで罵倒され差別を受ける。学校を辞め、絵画を学び始め、その後、上京し更に学びを深め、入選するまでになったが、そこでも差別を恐れ、絵の世界からも遠ざかってしまう。読書にふけりながらも、死ぬことへの憧れの中で、生きることを慰めていた。
その頃の西光さんの心情は「生まれてくることが一番悪いのです。死こそが最高相の文化です。地上において私どもは果たして何を求め、何を望みましょう。一切は欺瞞です。不正です。不義です」ということであったそうだ。
そう呟く以外になかった西光さんが、ある出会いの中で、その5年後には、「運命」という文章の中で「吾々は運命を呟くことは要らない、運命は吾々に努力を惜しませるものではない、成就しなければならない大きな任務をもった今日の如き時代は幸福である。(中略)諦めの運命より闘争の運命を自覚せよ。(後略)」という西光さんに転じられている。
まさに「運命」というしかない厳しい現実を、自分に課せられた大きな「任務」として向き合い、「今日の如き時代は幸福である」と言わせ、「運命」は「努力」をさせていただくチャンスだ、とまで言い切る根拠は一体どこにあるのだろうか。現実に向き合う力、「意欲」がどこから生まれてきたのだろうか。そんなことが気になっている。
そして、西光さんは「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と立ち上がっていく。「世」に眼差しを向け、「人間」存在に関心を向けることによって、新しい「意欲」を与えられ、同時に生きること、人生全体の「意味」を見出していく。それは真の使命を見出すことであった。改めてそんな西光さんに学び直したい。