鈴木勘吾
ハンセン病についてお話させていただきます。
ハンセン病は感染症の一種ですが、人から人にうつることは極めてまれで、生命に関わることもほとんど無く、抗菌剤治療で完治する、隔離を必要としない病気です。また、国内では明治以降、国の経済状態の発展に伴い、新たに発病する人は自然に減少し続け、最近は新しい患者はほとんど見られず、ハンセン病回復者の方々は、既に完治しています。昔は「らい」「らい病」と呼ばれていましたが、「らい」という病名には古くから忌まわしいイメージがあり、1996年、偏見を是正する目的で、「ライ菌」発見者の名前を付け、「ハンセン(氏)病」に変更されました。
ここで私たちが気をつけなければならないのは、ハンセン病は特別視される病気ではないことです。ハンセン病のみならず、どのような病気も障害も、その条件さえ合えば、誰でも発病するのです。何も特別なことはありません。恐ろしいのは、発病することではなく、国による隔離政策です。
日本におけるハンセン病隔離政策は、病状や年齢に関わらず、生涯隔離することで、患者そのものの絶滅を目的としました。発症した人だけでなく、疑わしいとされた人まで療養所に収容し、入所者の外出を厳しく制限し、また病気が治っても退所して社会で暮らすことを認めませんでした。明治期、日本国は「文明国」の仲間入りを目指す中で、野外生活を営むハンセン病患者を「国辱」として認識し、欧米人の目に触れないように、療養所に隔離しようとしたのがその発端です。
昭和初期、戦時体制に向かう中、国民は兵隊=戦力として位置づけられ、四肢や外貌に後遺症を遺すハンセン病は「国益に反する」とされ、その結果、「民族浄化」というスローガンが掲げられ、野外生活者のみならず、在宅患者をも隔離収容する政策がとられました。その「無癩県運動」は、警察や保健行政機関、さらには教育現場、地域住民が官民一体となって、ハンセン病患者の発見、通報、収容促進の役割を担うものでした。その過程で、ハンセン病に対して「恐ろしい伝染病」という誤った認識が社会の隅々まで植えつけられ、法律により強制隔離をされる病として恐怖の対象になりました。そして、地域社会、市民のハンセン病に対する偏見差別が定着し、患者本人だけではなく、その家族も地域から排除、差別されるようになってしまったのです。
私たち真宗大谷派は療養所入所者に対して「慰安教化」を行い、隔離政策を正しいことと推し進め、ハンセン病患者を「哀れな人」「救済される人」として、その自主性や主体性を理解せず、隔離生活を送ることが、むしろ当事者にとって幸せだ、という誤った認識を植えつけてきました。
今、私たちに望まれていることは、ハンセン病の問題の解決を裁判やその後の法律で終わらせることではなく、具体的な一人一人との出会いの中で、その被害を回復していくことだと思います。そして、最後の一人になる時が来ても、安心して暮らすことができる社会の実現を目指さなければなりません。
どうか、無関心の壁を破って、ハンセン病回復の方と共に出会える機会を持ちましょう。