018掲示板設置によせて

大賀光範

このたび、淨圓寺の入り口にアルミ製の掲示板をたてていただきました。そこで、さっそくドイツの文豪ゲーテの言葉である「人間の過ちこそが、人間を本当に愛すべきものにする」という言葉を掲示しました。

掲示板の設置は前住職のころからの懸案でした。しかし、門前は人通りが少ないこともあり、世話方さん手製の掲示板が村の中の5ヶ所に設置してありました。行事の案内などはいつもそこに掲示しておりましたが、老朽化などで壊れたものも出てきたため、新たな掲示板を設置していただいたのです。

掲示した言葉については、すぐに反応が出てきました。「難しい」「何を言いたいのか分からない」という声でした。これらは想定内の反応でしたので、これからいっしょに考えていきましょうとお話したのですが、ただ一つ思いもよらない声が出てきました。それは、「最後に書いてある“ゲーテ”の意味が分からない」という声でした。世界的文豪であるゲーテだからこそ、掲示板の最初の言葉として相応しいと思い選んだ言葉でしたが、そのゲーテを知らない人がいることには、思いが至りませんでした。

考えてみれば、高度経済成長を支えた世代は、戦争で荒廃した国の復興のために、身を這いつくばらせて働かねば、三度の食事も満足に取れないような、たいへんなご苦労を経験された世代です。芸術などの文化に心を寄せる暇もなく仕事をしてくださったからこそ、高度経済成長を成しえたといってもいいのでしょう。戦後60余年を過ぎていますが、文化的には戦後を引きずっているのではないかと感じました。

このことから、親鸞聖人が『唯信鈔文意』で「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」(真宗聖典533頁)といわれる言葉を思い出しました。毎日その日の生活に追われ、食いつなぐためには人をだましたり瞞(だま)したり、殺生をしなければならない。そういう生活を余儀なくされている者こそ自分自身であり、当然そこには、身を煩わし、心を悩ましてしか生きることのできない現実を、悲しみをもって語られている言葉でした。

私たちは、毎日身を煩わしい心を悩ませながら生きているため、言わなくてもいいことを言ってしまい、しなくてもいいことをしてしまいます。そういう過ちを犯す私だからこそ、如来は人間を「愛すべきもの」と見てくださるのではないでしょうか。