010戴きものを知命

木造眞典

脊柱管狭窄症(せきちゅうわんきょうさくしょう)を戴いて、腰椎4カ所の金属固定の手術を受け退院してきました。退院すると、一日二日は面倒を見てもらえたのですが、三日も過ぎると。退院したのだから完治したと思うのでしょうね。体を直立にしていなければならない私。歩行器で家の中を動いている私。テレビのリモコンは畳の上、新聞も畳の上、屈めないのですよ。取ることができないのです。見られない、読めない。一日がなんと長いことか。夕方、家族が帰宅するのを待って「取ってくれ」と頼むと、「仕事で疲れているのにあれやこれやと言いつける」と。家族もそれぞれに生きているのだから、これも戴きものかと。

その内、家の中をリハビリで歩いているのが外に見つかりました。お見舞いを持ってのチャイムが鳴る。だが、段差のある所には動けない。夜、家族が対応する。それが広がる。来訪者が増える。だが、応対に出られない。チャイムの電源を切っていると、納戸の外まで来て「ご院さん」と呼ぶ。見舞いに行ったか行かないかが、門徒さんの関心事になっているようです。状況の見極めや気遣いよりも、義理ごとが優先するのかもしれません。

病院で入院した患者さんの所へ見舞いに押しかけて、亡くなった門徒さんが多くいることを私は知っています。本人たちは「間に合って良かった」と苦痛を強いたことに気づいてはいないのです。死に追いやるほど義理ごとが大事なのかと思います。こんな苦痛を味わって、自分のしてきた義理ごとが人を苦痛に貶(おとし)めていたのではないかと反省することしきりです。

けれども、人の体は不可思議なものです。老いを貰っても進化するのですね。退院した頃は足の感覚は何もなかった。敷居の段差を踏んでも分からなかった感覚が、2年経ったこの頃、少し分かるようになってきたのです。立っていられる、2時間ぐらい歩くことができる。正座も2時間ぐらいできるようになってきました。法務も一軒行くと広がって、日々増えてくるが、我慢の連続です。腰を折る時間の我慢と法務の広がり、これも戴きもの。我が計らいに非ずして、良きにつけ悪しきにつけ、いろんなものがやって来る。ありがたや、ありがたや。

どのような明日をも戴いていかなければならない自分であったと、この数年で知らされました。戴きものを避けられない私であった、いや、私である、ということであります。