008生かされている私の命

平野章憲

「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙のあとには虹もでる 歩いて行くんだしっかりと 自分の道を踏み締めて」

みなさんご承知のように、この言葉はテレビドラマの『水戸黄門』の主題歌ですね。

私はこの歌を聞くのがとても楽しみです。楽しみと言うと変ですが、この歌は私たちの生活の実態(生き様)を大変うまく表していると思いながら、何時も聞いています。

特に、「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌い出されるところを考えてみますと、両親からかけがえのない尊い命を受け生かされてきた、今日までの私たちの人生そのものではないかと、つくづく思い起こしています。

これまでの生活を考えてみますと、楽しいと感じたとき、苦しいと感じたときが、走馬灯のように思い出されてきます。

誰もが尊い命をいただいている「喜びの道」と、社会生活などの中で起こり得るかもしれない「苦難の道」を、一歩一歩進みながら、「涙のあとには虹もでる 歩いて行くんだしっかりと 自分の道を踏み締めて」とあるように、この大地に生かされている我が身であるということを今一度確認する必要があると思います。

私たちの人生は、時として自分の思い通りにいかないことがあります。そのような時にこそ、私自身を振り返るチャンスなのです。よく考えてみると、我欲に振り回され、自分の都合しか考えていなかった自分が見えてくるかもしれません。私にとって「丁度よい」人生を見失っていたかもしれないのです。

仏法では「一切皆苦」、全てのことは私の思い通りにならない(「苦」である)と教えます。苦であるからこそ、「生かされている」とはどういうことなのかが私たちに問われてくるのです。本当の「楽」とは何かを目指すこともできるのでしょう。そして、死という問題とも向き合えるのだと思います。

一切衆生が往生していく世界(安楽国)をいただくことから「私の命の大切さ」を受け止めていくことができるのだと思います。