008弟

稲垣香織

毎年この3月は、春の到来を嬉しく思う一方で、胸につまされる季節でもあります。私は5人姉妹の真ん中で育ちましたが、5歳下の末の弟が亡くなったのが、ちょうど15年前の3月でした。野球や駅伝で体を鍛えていた弟が、高校入学後に発病し、明るい未来を語っていたその生涯を17年で終えるとは、想像もしないことでした。

姉弟の中でも気の合う弟でしたので、闘病中はできる限り彼の傍らにいたいなと思いながら過ごしましたが、治療が辛さを伴って進む中で、彼の「どうして僕が…」という問いを発する場にも立ち会わなければなりませんでした。彼の問いは、即ち私の問いでした。その問いの答えを見出せないまま、お浄土へ送りました。

弟より少し前に父が亡くなったのですが、勝手なもので、その悲しみはどこか「親だから当然」という覚悟が前提にあったのでしょうか、弟とは違いました。弟の死は言葉にできないような辛い悲しみでした。

その悲しみの事実を受け止められない日々を送っていたある日、知り合いのお寺を訪ねた際に、廊下に掛けてあった歌に出遇いました。

なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ 兼寿

後に分かりましたが、これは蓮如上人がお詠みになった歌で『帖外御文』に収められているものです。私はこの歌を目にした時に、ハッとしました。私には亡き弟からの呼びかけ、願いに聞こえたのです。

「どうして僕が…」という問いを抱えたまま、日々を悲しみで過ごしていた私に、「ただ弥陀をたのむこころをこせよ」と願ってくれる存在としての弟と出会えたのだと思いました。御はたらきとして、私の中に弟が願いとなって生きていることを感じたのです。そのはたらきが、私の歩みを問い、また励みとなっているのだと思います。

完全燃焼してくださった17年の生涯は、本当に尊いご縁でした。先人のお念仏の歩みから、弟との新たな出会いの意味を教えられたことです。