003いのちの電話

池井隆秀

昨年のある日のことです。突然名も知らぬ方から電話が入りました。「もしもし、私、今から命を断とうと思います」と。その方は半分泣き声で、所々激しい嗚咽が混じりました。電話に出た私の方は言葉に詰まりました。何をお話したらよいのか。「どうしてなのですか」と聞くのがやっとのことでした。その方の質問は次のようでした。

「私は今から命を断とうと思うのですが、私が死んだ後、私が面倒を見てきた亡き父とおばさんの位牌はどうなるのでしょうか」

途切れ途切れに聞こえてくる声から、その方の家庭の中で大きな問題を抱えて苦しんでおられる様子が窺えました。

「私は今まで誰にも気づかれないように苦しさに耐えてまいりました。そして、一人で一生懸命に頑張ってきました。しかし、もう限界です」

このような電話を前に、何一つ答えることができない自分がありました。その時、ふと浮かんだのは『がんばらない』の著者・鎌田實氏の言葉でした。「今まで充分に頑張ったのだから、悲しいなら我慢しないで大いに泣いたらいいじゃありませんか」このようにお話した時、その方は「今までそんなことを言ってくれた人はいませんでした」と、少し落ち着きを取り戻されたようでした。

「あまり無理をしないで、“いいかげん”の人生を歩まれたらどうですか。お風呂の湯加減がちょうどいい加減というように。そうすれば、あなたの気づかないところで、あなたを必要とされる方が必ずいらっしゃるはずです…」

30分ほどの電話でした。法要の約束が入っておりましたので、どうしても電話を切らなければなりませんでした。「必ずもう一度お電話してください」とお約束してお別れいたしました。

世の中には同様の苦しみに遭っておられる方もいるかと思います。また、私もいつそのような苦しい出来事に遭遇するかもしれません。そのためにも、私たちが生きることを根底から支えてくださるものに出遇うことが願われているようです。苦しみのどん底におられるその方が、その苦しみを縁として大きく成長され、同じような悩みを抱える多くの人たちに力を与えられるような方に変わってくださるのでは、と思ったことでした。

電話があった日から数カ月が経った昨年12月に、その方が当寺を訪ねて来てくださいました。苦しみの中に身を置いておられる事実を背負いながら、新たに歩みを始める勇気をいただかれたようです。本堂でお話しできたことに感動でした。