028「聞く」ということの大切さ

石川加代子

「ねぇ、ねぇ、ねぇ…」

彼岸花が燃えるように咲く坂道で、少し耳の遠くなった祖母に駆け寄りながら、何度も何度も呼びかけた幼い記憶がよみがえります。やっと振り返った祖母は、満面の笑顔で私の目の高さまで顔を近づけて「耳が遠くなったけんね。しっかり向かわな聞こえんよ…」
あれから数十年。夫からも子どもからも、家族全員の「ねぇ」に追いかけられる毎日です。でも、忙しさという大義名分を振りかざし、聞く前から耳をふさいでいるような有様です。

あの時、本当に聞こえ辛くなっていた祖母と、実際は聞こえているのに聞こえないふりの私。中途半端で聞いているから聞こえなかったり、自分の思いでしか聞かないから、ひどい誤解が生じたり、話の腰を折るようなことを平気でしたり、つまり、いつも自分の都合でしか聞いていない私です。

「しっかり向かわな、聞こえんよ」

毎年、田の畔に群生する彼岸花を見るたびに、その圧倒的な存在感を示す紅色とともに、祖母の言葉が呼び起こされます。いつも言い訳ばかりしている私に、生活の中で「聞く」ということを通し、自分のありようを、改めて問い返されたようでした。

真宗では「聴聞(ちょうもん)」の「聴」と「聞」の意味について述べる時、特に「聞」は「聞こえる」という時に用います。「おのずと聞こえてくる」という意味から「聞即信(聞こえた時が信ぜられた時)」と言われるほど重要な意味合いをもつそうです。

「思いを越えてそこに私があるという事実」その大切な呼び声にさえも、すっかり耳をふさいでいたようです。今一度、そのことに真摯に向かい合い、彼方からの声に耳を傾けてみたいと思いました。