安田多恵子
ふっと気がつけば、結婚していつの間にか25年過ぎました。この25年はとても毎日が忙しい日々でした。結婚・病気・出産・前住職の病気・住職の単身赴任・3人の子育て・進路・お寺の改修工事と、次々とその時に直面することに真剣に悩み、決断してきたつもりでおりました。
そのうちに、子どもたちもそれぞれ大きくなり、手がかからなくなり、逆に世話を焼こうとすると、住職からは「心配しすぎる」と言われ、息子たちからは「母さんは僕たちのことより、自分のことを見たら。一度好きなことを見つけて始めてみたらいいよ」と言われるようになりました。その言葉がずっと気になり、今でもじっくり考えておりますが、何も分からないのです。自分で自分を見る、何と難しいのでしょう。今まで自分自身をじっくり見るなんてことは、せいぜい、朝の洗面台で顔を見るだけでおりました。
私自身のこととなると、何も分かっていないことが多いことに気づきます。そんなことを考えておりますと、逆に住職や息子たちに私の顔色を見て気を使わせていたり、その日の機嫌まで見透かされていることに気づかされます。結局、一番自分が自分を知らない、分からない、厄介な人間なのかもしれません。愚痴は言えても、人の悪いことが見えても、我が身のことは何も見てこなかった。分かっていない存在なのでしょうか?
今まで時間に追われ、あれこれしているうちに1日を過ごし、何となく「いつの間にか」日々を過ごしてきたのだと気づかされました。要らぬ心配ばかりしていた私に、子どもたちは大事なことを気づかせてくれました。
以前、「鬼は外、福は内と言って節分に豆まきをするが、真宗の教えは、鬼は内なんだ」と教えてもらいました。それまで私は、すごくたいへんなことが起こると、「何でこんなことが私に降りかかるの?どうしよう…」と、まるで悩み事は外から侵入者のように、苦は外から来るかのように思っておりました。でも、このことを教えてもらい、救われた気持ちになりました。
「いつの間にか」で過ぎるのではなく、私を問うて大事に過ごしてまいりたいと思います。