山田智津子
先日、地域の奉仕作業があり、近所のおじいさんがお孫さんを連れて参加されました。おじいさんはお孫さんに金バサミの持ち方や使い方、ごみ袋の持ちやすい方法など一つ一つ丁寧に教えておられました。お孫さんの母親は「家のおじいさんは子どものこととなると小さなことまで世話を焼く」と不満そうに話されたことがあります。母親の言葉を思い浮かべながら、なるほどと眺めていました。しかし、目の前の子どもがおじいさんに教えてもらった方法を繰り返し楽しそうに実行する姿を見ておりますと、自分は子どもの立場ではなく、母親の立場から見ていたことに気づきました。
分かっていることを何度も言われると口うるさい、やかましいと反発をされそうですが、経験の浅い子どもたちには口うるさいほどのきめ細かい手ほどきが大切なのです。できて当たり前と思うことも初めは教えないと分からないのです。近所の人たちも「車が来たから危ないよ」とか「草の上は滑るよ」とか会話しながらも、目線は子どもに向けられておりました。立場を変えることによっていつも目にしていた光景が違って見えてくるのです。自分の都合で人の善し悪しを見て、自分の受け止め次第で善き人にも悪き人にもなってしまうのです。
以前、すべての方が自分を育ててくださる「親さま」であると聞いたことを思い出しました。核家族化が進み近所との付き合いも薄れ、子どもが育つ生活環境が大きく変わってきたこの頃、周りの人に助けられ支えられて育つことの大切さを痛感いたします。しかし、振り返ってみますと私自身も口うるさいやかましいと反発しながら、このように育てられてきたのです。そして今現在も煩わしいと感じる人間関係を、実は自分を育ててくださるご縁としていただいているのでしょう。「親さま」という言葉に込められた意味を子どもの姿から教えられ、共に喜び合う「ありがとう」の言葉が増える人間関係を築きたいという願いが起こってまいりました。