013「かくれ念仏」からの学び 

藤懿信麿

今、NHKの大河ドラマで『篤姫』が放映され、分かりやすく、血を流すシーンもなく、そして懐かしい家族の理想像を見ることができるということで、たいへん評判だという記事を見ました。

その『篤姫』の前半の舞台であり、私の妻の実家でもある鹿児島に先日行く機会がありました。鹿児島は多くの観光客が訪れ、さまざまなグッズやお土産が並べられ、篤姫一色という感じでした。

その鹿児島では、約400年前に島津氏により浄土真宗、親鸞聖人の教えが禁止され、約300年間という長い期間、禁制政策が続けられました。ご存知の方も多いと思いますが、これが「かくれ念仏」です。

禁制政策は、1597(慶長2)年から1876(明治9)年まで続けられ、この篤姫が1836(天保6)年に生まれ50年弱の生涯ということですので、時代が重なっております。『薩摩国書記』という資料によると、篤姫が生まれた時期に、前代未聞の厳しさで弾圧が行われ、ご本尊2000幅、14万人の真宗門徒、70余りのお講が摘発されております。

あのドラマの背景には、薩摩の真宗門徒が厳しい禁制の中で「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」という親鸞聖人の教えを基本とした生活を密かに送り、信仰を護っている姿があるのです。

江戸時代の封建体制は、生まれつき身分や職業が固定される制度をひくことで維持され、武士による統治が行われておりました。薩摩でも同様でしたが「かくれ念仏」のお講には農民、漁師そして武士と、あらゆる身分の方々が参加しており、その世間での身分に関係なく、ご本尊である阿弥陀仏のもとで平等な関係性が築かれていたと聞きます。

現代の私たちはいかがでしょうか。江戸時代のような徹底された身分制度もなく、厳しい禁制もありません。しかし、何か窮屈であり、自分を中心に他人との上下関係を築き、どこかで信頼しきれないという意識があるのではないでしょうか。

薩摩の真宗門徒が親鸞聖人の教え、信仰を護り続けてきたのは、世間の身分制度を超えて、ご本尊を中心に平等であり尊厳できる関係性を願っていたと考えられます。「御同朋御同行」と言われた親鸞聖人。私たちは今、尊厳しあい、つながり合える平等なる世界を失いつつあるのではないでしょうか。