高尾輝子
毎週金曜日は、娘が仕事を終えるまで二人の孫を我が家で預かることになっています。
いつものように保育園に迎えに行き、一人を車に乗せ、次に小学2年の孫を自宅に迎えに行く途中、その子が友だちと二人で歩いているところに出会いました。そこで、孫に「一緒に乗っていく?」と聞きました。「いい」との返事。「じゃぁ、気をつけてね」と言って、先に孫の家へ行って待っていますと、間もなく友だちと別れて走って帰ってきました。孫の家から我が家へ戻る車の中で、小2の孫に「おばあちゃん、さっき私だけに車に乗っていくって言ったの?」と聞かれ、とっさに返す言葉がありませんでした。「もし私だけ車に乗ったら、お友だちが一人になるでしょ。学校で一人では絶対帰らないようにって言われとんのやに」と。なるほどそうであろうなぁと、最近の幼児・学童に対する犯罪の多さが思い起こされました。私の都合で、「こうしたら」とか「それは止めたら」とか、つい口を出してしまいがちな自分であったなぁと、孫から気づかされたことでした。
そして、このことをきっかけに考えさせられたことがあります。例えば、世界のどこかで事件・事故が発生すると、テレビ・ラジオのニュースの中での「けが人何名、亡くなった方何名でした。その中に日本人は含まれていませんでした」とのコメントに、「日本人が巻き込まれていなくて良かったな」と、つい思ってしまうことがあります。また、子どもたちが犯罪にあったとしても、もちろんそのことに対しては非常に怒りを感ずるのは当然ですが、我が子や孫でなくてほっとしている自分がいることに気がつきます。
身内さえよければ、自分さえよければの思いが私の中にあるということを否定することはできないでしょう。