池井隆秀
つい先日、NHKの『ラジオ深夜便』の番組の中で、小児がんで子どもを亡くされたご住職の放送がありました。みなさまの中にもお聞きになった方があるかと思います。
山口県は長久寺のご住職・有国智光氏で、「小児がんの息子と向き合った日々」と題してお話されました。長男の遊雲君が小学6年生の時、足首に腫瘍が見つかり、それががんと宣告されます。あと3年の命であると聞かされた後、息子さんと向き合った様子をお話になりました。
最初は、お医者様から最悪あと3年と言われたのだから、治療によっては元のような健康な体に治る可能性もあるであろうと、さほど動揺しなかったとのことでした。治るということで手術室に向かう遊雲君がいました。
学校の好きな遊雲君は、これから休まずに学校に通えると思っていた矢先、中学2年生の時、二度目の入院で転移が見つかり、片足を切断することになったそうです。「もう元には戻れない」とお話をされ、病気と闘っている遊雲君。そばでご一緒だったご家族方の思いは、私どもには到底思い量ることができません。ご住職は遊雲君に「何が起こっても大丈夫だからね」と言葉を交わされたそうです。
やがて、遊雲君は命を終えていかれました。これで高校生の遊雲君の姿は見られない、わが息子に代わってやることもできない。ご住職は、独り生まれ、独り死んでゆく現実のただなかで、遊雲君となかなか出会うことができなかった、と言われています。
そんな中、ご自坊の近くに住む浄土真宗のご門徒さんであるおじいさん・おばあさんが昔から言っておられた「きつーいごさいそく」という言葉によって、遊雲君との出会いの扉が開かれたとお聞きしました。このことは私たちに大切なメッセージを投げかけてくださっていると思います。
遊雲君が亡くなられた2007年に、私の寺の総代さんが50歳代の末で命を終えられました。その奥さんが私に「私は今、悲しみ、苦しみ、辛さのどん底におります。これ以下はありません。これからは立ち上がることだけですから」と述懐されたことが思い出されます。このことは、厳しい現実を「きつーいごさいそく」として頷かれたということではないでしょうか。
身の回りに起こる様々な出来事が厳しければ厳しいほど、私たちは逃れることに必死になります。何かに、どこかに、そのはけ口を求め続け、逃げ回っている現実があります。どうしようもない現実を「きつーいごさいそく」として感得できた時、確かな歩みが始まるのではないかと教えられたことでありました。