川口昭
久しぶりに会ったK君から、お念仏の話を聞いた。K君とは学生時代の同級で、以前より3年に一度クラス会を開いており、昨年は鳥羽に集まり、一晩中近況報告やらして、旧交を温めていた。その時のお話であります。
もともと学生時代より山を愛した人でしたが、40年過ぎた今でも山に登っているそうです。山には何人かで登る時もあれば、1人で登る時もあるそうです。彼は北海道へ1人で行った時、北海道には熊が多いので腰に鈴を3つ付けて、チリンチリンと鳴らしながら登ったそうです。熊と遭遇しないためには、こちらにはたくさんの人がいるぞと存在を知らすことが一番。それで鈴を付けて登るのです。それでも彼は不安だったのか、大きな声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を称えると、妙に安心感が出て登ることができたとのことです。
その話を聞いた時、お念仏を利用しているようにも聞こえたのですが、彼にしてみればたいへん心強く思ったのは確かなようです。
お念仏には、例えば、夜、墓場の近くを歩いている時に称えようと思う念仏もある。無意識であっても魔よけの心が働いているのかもしれません。また、肉親の死に会って悲しみに暮れて称える念仏もある。また、台本にあるから仕方なしに称える俳優の念仏もあるかと思います。彼のは熊を意識しての念仏ですが、称えることによって、私一人ではないぞ、と熊に知らしめているのです。
このことを聞いた時、ふと「一人居て喜ばば二人と思うべし、二人いて喜ばば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」(『御臨末の御書』)と頭の中をよぎったものでした。