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私が大学4年の時、自坊で落慶法要が勤められました。その時にある住職から「どうして本堂を修復したのか分かるか」と質問され「だいぶ本堂はあちこち傷んでいましたし、修復する時期だったからだと思います」と、私は何も考えず答えました。すると「まぁ、よく考えてみなさい」と返事が返ってきました。その時は、何を言おうとしているのかがわかりませんでした。
東本願寺が今ご修復の真っ最中で、しばしば明治の再建のことが取り上げられます。1864年(明治元年)の禁門の変で灰燼(かいじん)に帰した境内に門徒さんが集まり、灰の片づけから始まった両堂再建は、15年の歳月をかけて完成しました。また桑名別院は第二次世界大戦で本堂共々焼失しました。京都に解体されていた本堂の木材があり、それを戦後すぐに門徒さんが買い取って建てられたのが、今の桑名別院の本堂だと聞いています。
では、なぜ門徒さんたちはそこまでして本堂を建てられたのでしょう。傷んでいたから直したのでしょうか。無くなったから建て直したのでしょうか。しかし、いろいろなお話を伺っているうちに、ただみんなで聞法する場所が必要だったという、その一人一人の願いのもと建てられたものであることが見えてきました。願いが形となって本堂が建てられたのに、やがて時がたつとその最初の願いが見えなくなり、形だけが残る。その残った形を今度は自分の思いの中で必要なのかどうか評価して、時には自分にとって邪魔な存在にまでしてしまうこともあります。
先人の願い、先人のご苦労ということは口先だけで言えることではないでしょう。来年完成予定の東本願寺の御影堂(ごえいどう)を、単なる立派な建築物という「モノ」にしないためにも「どうして自坊の本堂は修復をしたのか」という数年前に投げかけられた質問とこれからも向き合っていかなければならないと改めて思います。