服部拓円
つい最近、私は30年ほど前のアルバムを見ておりました。その一枚の風景写真には、ショッピングセンターやコンビニエンスストアもなく田んぼの広がっている様子が写っていました。写真にはありませんが、50年前の風景だともっと違うでしょうし、100年前では更に違っているのではないでしょうか。写真に写っていたのは、景色だけではなく、昔から現在に至るまで、便利さ快適さを求めてきた歴史のようにも見えました。
便利さ快適さを求めるのは単に生活だけではありません。文明・社会においても同じことで、苦悩ある生活から脱却を求め、その都度改革を行う歴史を繰り返しております。しかし、改善されるどころか、戦争もなくならず武器の発達で酷(ひど)くなり、人以外の生物が脅かされるものとなってしまいました。
人類は「理想郷」を現代に創ろうとしておりながら、破滅へ向かっているのではないでしょうか。
少し話が大きくなってしまいましたが、苦悩の生活とは、有り余るものでも社会の改革をもってしても、一時的にしか満たされず、また新たな苦悩が生まれるだけでしょう。ただ解決を求めるのではなく、本当の願いをはっきりとさせることが大切なのではないでしょうか。私たちはそのことを真宗からもっと学ばなければなりません。