石見孝道
それは、今から10年ほど前の出来事です。あるところで同朋会があり、法話の後に座談会となりました。その時参加されていたのは、よくお寺参りをして仏法を何十年も聞いてこられた方ばかりでした。
そんな中、1人のおばあさんが言いました。
「やっぱりお寺参りをして、仏法を聞かせてもらわんといかんね。真宗の教えを聞いとらん人とは、もう話にならんもんね。自分のことだけしか考えておらんというか、だいたい人の話を聞く耳をもっとらん」
それを黙って聞いていた、別のおばあさんが一言言いました。
「あんた、そんなら聞かんほうが良かったね」
真宗の教えを聞いたということによって、聞いていない人が愚かに見えたりするのは、本当の意味で聞いていない証拠なんでしょう。その時、すでに真宗の教えは自分を善人にする道具となっているのでしょう。「聞く」ということの難しさを思います。
ある先生は「仏法を聞くということ、それは私の思いが破られる経験です」と言われました。つまり、仏法は私の思いを固めるためにあるのではなく、私の思いを破るはたらきとしてあるんだということなのでしょう。
私たちはこれまでに様々なものを利用して、私という立場を固めてきました。しかし、そこにはいつも「不安」というものが隠れついているのではないでしょうか。
ある先生は「不安こそ如来なんですわ、如来が不安という形ではたらきかけておるんだ」と言われました。それは、私のものではないものを私のものにし、本当でないものを本当だとしている私たちにあり方が、不安という形で問われているのでしょう。誰でも命を終わるときにはすべて置いていかねばなりません。家族も財産も地位も名誉も、そしてこの身も、実は全部が借り物なんです。そのことが深く頷けた時、初めて仏法を聞かせていただいたと言えるのではないでしょうか。
加藤淳
渡辺哲雄さんが『老いの風景』という本で次のような話を紹介しています。
ツルとカメという名前のめでたさに加え、双子の姉妹が揃って百歳の長寿を達成した珍しさで、誕生日には多くの報道陣が二人が住む養護老人ホームに詰めかけた。
「如何ですか?こうしてお元気で百歳の誕生日を迎えられた感想は」という質問に「いかがも何も長生きしすぎたせいで、夫や子どもには先立たれるし、孫はたまにしか面会に来てくれせんし、正直言うていいことは一つもありませんナモ」とツルは答えたが、カメの方は「わたしゃあ、夫や子どもの最後の世話もこの手でできたし、孫は思い出したように面会に来てくれるし、幸せすぎて涙が出ます」と深々と頭を下げた。
「施設の暮らしはどうですか?」という質問には「こまごまとした決まりがようけあって窮屈なもんですわ。狭い二人部屋で気兼ねはせんならんし、風呂は二日おきにしか入れえせんし、ええことは一つもあれせんナモ」と、怒ったように眉を上げるツルに対し「同じような年寄りが一緒にいてくださるので、ちっとも淋しゅうはないし、お風呂も二日に一度は入れてもらえるし、幸せすぎて涙が出ます」と、カメはまた頭を下げた。
「最近の世の中をどう思われますか?」とマイクを向けられると「ほうやのう、空気は悪いし、人はとげとげしいし、政治家は悪いことをするし、物価は高いし、ええことは一つもあれせんナモ」と、ツルが表情を曇らせるのに対し、カメは「皆さんに親切にしてもらった上に、年金までいただいて、幸せすぎて涙が出ます」と目の高さで合掌してみせた。
さて、皆さんはこの話を聞いてどう思われましたか?一体私は何を生活の中心にして生きているのだろうということを考えさせられました。私は幸せになりたいということを望みながら生活をしています。しかし、それとは逆に不幸な目にあったり、悩みがあることも私の人生です。いいことばかり経験していくことだけが私の人生ではなく、見たくないこと、経験したくないこともまた私の人生だと受け止めていくところに、カメさんの生き方があると思います。カメさんは百年の人生で何に出会ったのでしょうか?本当に私が願っていることは何かということを考えていきたいと思います。
岡田豊
昨年、あるおばあさんが亡くなりました。夫を太平洋戦争で亡くされた方でした。葬儀の後、息子さんがお内仏の引き出しを整理していると、父の髪の毛が出てきました。「父は戦死したので、遺骨が戻ってこなかったのです。母のお骨と父の遺髪を一緒にお墓に納めたい」とおっしゃるので、そのようにしました。「これでやっと親父とお袋が一緒になれたなぁ」という言葉が印象的でした。
靖国神社の写真と、遺髪の納められたお内仏と、軍服姿の父の遺影の下で営まれた家族の生活はどのようなものだったのだろう。覚悟していたとはいえ、幼い子どもを抱えて残された妻の悲しみ、苦しさ。軍人と崇められ、名誉の戦死と称えられていたのに、戦後一変してしまったという悔しさがあったはずです。しかし、お寺の住職も含め、私たちはこの悲しみに目を向けてこなかったのではないかと、その時思いました。
今日の小泉首相の「靖国参拝」の根底には「誰も分かってくれなかったじゃないか。靖国神社だけが慰めてくれる場所だったんだ」というような遺族の方々の感情があるように思えます。そして一方「あなたたち日本人は、日本の軍隊が我々にもたらした苦悩を本当に分かっているのか。分かろうともしていないじゃないか」というのが湧き起こるアジアの人々の声ではないかと思います。
つまり、私たちは隣の家族の悲しみの声にも、アジアの人々のうめき声にも、聞く耳さえもたず、戦後の自らの平和と繁栄を追い求めてきたということです。もちろん、人の悲しみを我が悲しみとすることは簡単なことではありませんが、このことに思いをいたすならば、悲しむべきことを悲しむことができず、また、自らの課題なのに、なかなか課題にならないという、いつの間にか自己充足して傲慢となっている私たちの姿が照らし出されてきます。
折戸芳章
JR福知山線の脱線事故から、2ヶ月が経とうとしています。107名の尊い命の犠牲者と数百名の負傷者という大惨事となり、経営するJR西日本鉄道の利益優先、縦割り管理運営体質に世論の非難が浴びせられました。
今回のJRの事故対応の不備を見ながら、松竹新喜劇の藤山寛美さんの芝居の一場面を思い出しました。寛美さん演じる建設会社社長が、一流大学建築学科卒で一級建築士の息子の設計図と、長年その会社の建築現場で責任者として汗水を流し独学で一級建築士になった人の設計図のどちらで建築するかという場面で、長年現場で責任者をしてきた方の設計図を選択しました。悲しむ息子に父である社長は「お前はセメント一袋の重さを知っているか、柱一本の重さを知っているか、お前は現場での苦労を何ひとつ知らない、ただ知識だけで描いた設計図だ。それに比べてセメントや柱の重さを熟知している者が、運ぶ現場の者の身になって描いた設計図とでは、現場で働く者はどちらが工事をしやすく、意欲的に働けるかは明らかだ」と説明しました。蓮如上人は「われは、人の機をかがみ、人にしたがいて、仏法を御聞かせ候う」(真宗聖典876頁)と仰せのように、相手の身になってその人の境遇や性質・個性によってその人に合った教えの説き方を心がけておられました。
JR西日本の管理職が、毎日利用いただく乗客の皆さん、現場で働いている運転士、車掌の身になって会社を運営していれば、この大惨事は防げたのかもしれない。
藤井恵麿
最近、私の寺では「永代経」「報恩講」「同朋会」等への参詣人・参加者がだんだん減ってきました。寂しい気持ちの中で「このまま往くとどうなるのか」という不安な気持ちになることがあります。
そのような中である日のこと、門徒さん宅にお参りに行った時のことです。そこの55才前後の奥様から、お内仏のお給仕に関していろいろと尋ねられました。例えば「報恩講でのローソクは赤ですか?月参りでのローソクは赤ですか?白ですか?」「ご飯さんをお供えする場所は何処ですか?」「お華束(けぞく)さんはどのように盛ったらよいのですか?また、そのお供えをする場所は?」等々。
それで私がそれぞれの質問に答える度に、その方は小さなノートにそれを書き留めておられました。私はその姿に少しばかり驚きました。何故ならば、私の寺の門徒さんの中で、そこまで熱心にお内仏のお給仕に関して尋ねられる方は、ほとんどいなかったからであります。というより、間違っておられる方も少なからずおられて、そのことをお参りに行った時に指摘させていただくこともありますが、その後、再びお参りに行った際に、また同じ場所を間違っておられるという方もおられます。
だからこそ、何故この方は、ここまでして真剣なのかと疑問に思っていたところ、次のように言われました。「息子の嫁にも仏さんのことを伝えていこうと思うが、それにはまず私が知らなくてはいけない。しかし、私は仏さんのことをほとんど何も知らないので、今ここでお聞きしているのです」と。
私はその言葉を聞きましてハッとしました。「物事が伝わるということは、私が体得して初めて、次に伝えることができる」ということを教えられたからです。何とかして参詣人・参加者が増えないかという、他者を動かすことばかり考えて、自分が抜け落ちている私自身の傲慢な在り方、そしてまずは私自身が全身を挙げて聞くことが要であることに気づかされました。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。