片山寛隆
今年も終わろうとする中で、何かと問われたのが偽装、偽証ということがありました。表装に印してある製造年月日が実際の製造日と異なって販売がされて大きな反響がありました。
昔はその土地へ赴いたので「おひとつどうぞ」と、お隣にお土産を持っていったものです。しかし、今は全国何処にも同じものが売られているということが当たり前の時代です。現代という経済至上主義を象徴していることが、このような形で露呈したということでしょう。そして、一斉にこの偽装に対して「偽物は拒否」という大きな声になりました。私たちは表装と中身の異なる偽物は嫌いであり、拒否であります。
偽物を拒否し、あらゆるものを監視していくことがこれから益々厳しくなることでしょう。しかし、その外への眼差しと同時に私自身の偽装に対して問いをもつことを忘れてはいないでしょうか。真宗門徒を名告(なの)り仏教徒ですと公言しながら、中身は生活はどうなっているのか、誰もが「偽物は嫌い」というものを有しているものです。その嫌いなものの正体を知りたい、解りたい。そして「本当のこと」に遇いたい、なりたい、と歩まれた先人こそ私たちのご開山親鸞聖人ではなかったでしょうか。