芳岡里美
お寺に縁あって嫁ぎ、お念仏に出遇い、報恩講に参らせていただくようになって、早いもので20年が経とうとしています。
報恩講とは、親鸞聖人の御命日をお迎えする大切な法要であるということを知識として理解するよりも、先に感覚的に体感させてくださったのは、報恩講が近づくと、お忙しい中、日を空けて時間を割いて、準備のため、お寺に集まっていらっしゃるご門徒方であったのだと、今感じています。
丁寧に手間暇掛けて仏華を立て、お華束(けぞく)を餅米から作って盛り、そして、各自が家で育てた大根でお講汁を炊く。何事も効率の良さが求められていると思い込んでいる私には、大切に丁寧に準備されていく、その様がそのまま報恩講なのだと感じさせられました。この準備に平行して晨朝が勤まります。私は自坊なので参らせていただきますが、まだ夜も明けぬ早朝に、わざわざお参りにいらっしゃる方々の姿に、私のための報恩講なのだという声が聞こえてくるような気がしました。後、何回私は報恩講をお迎えすることができるのでしょうか。また、お迎えできるのなら、大切な法要であること、私のための報恩講であることを確認できるご縁に感謝したいと思います。