藤谷宜美
今、私がボランティアで参加させてもらっている、地域の子育て広場の中での一場面ですが、ある日、滑り台で遊んでいたまだ3歳くらいの子が、年下の子に「押したらダメ、危ないよ。順番に滑ろうね」と、その子の母親と同じ口調で優しく言っているのです。また、ある子は、帰る時にスリッパを人の分まできちんと揃えて下駄箱へ入れていくのです。純真無垢な子どもたちは、大人のすること、言うことを真似て育っていくのだなぁと感心させられました。
一方では、青少年の非行問題が多発しています。新聞・テレビでは、毎日のように痛ましいニュースが報道されています。幼い頃からのしつけと、子どもを包み込む愛情があれば、続発する不幸はもっと少なくなるのではないでしょうか。
「大人が変われば、子どもが変わる」とよく言われますが、その大人が変わることは実に難しいことのようです。「ゴミはゴミ箱に」と分かっていても、道路沿いに平気で空き缶を捨てる人がいます。「人と仲良く」と言っても、自分に不利なことを言う人とは、仲良くするどころかつい避けてしまいがちです。
私も、実は変わることの難しい大人の一人です。素直な私が少し反省しても、もう一人の私は、自分を通そうとして譲りません。知らぬ間に自分に都合の良い物差しが出てくるのです。自分の物差しは「言い訳」によって一層頑固なものになります。60余年のうちに、ちょっとやそっとではびくともしない物差しを持った自分がいるのです。
この自分に都合の良い物差しを操っている正体が、実は「煩悩」なのでしょう。そして「煩悩」が人に迷惑をかけ、私を苦しめていることに「気づけよ、目覚めよ」との呼びかけが「仏法」ではないでしょうか。これからは、煩悩一杯の自分であることを素直に受け止め、聞法ができればと思っております。