033報恩講

田代俊孝

大根の収穫とともに今年も報恩講シーズンの到来です。全国津々浦々の真宗門徒から「五十六億七千万…」が聞こえてきます。私の地域でもお寺の報恩講が済みますと、一冬かかって各家庭で門徒報恩講が勤められます。

五十六億七千万 弥勒菩薩(もろくぼさつ)はとしをへん まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし 念仏往生の願により 等正覚(とうしょうがく)にいたるひと すなわち弥勒(みろく)におなじくて 大般涅槃(だいはつねはん)をさとるべし(真宗聖典502頁)

子どもたちまでが、夏休みに稽古したこのご和讃を家族と一緒に大声でお上げします。

親鸞聖人は信心をいただいた人は、やがて必ず仏に成ることが約束されている弥勒菩薩と同じだと申されました。いや、それどころか弥勒菩薩は五十六億七千万後に龍華樹りゅうげじゅ)の下で三回お説法してその暁に仏に成られるが、信心の人はこの度さとりを開くのですとおっしゃいました。

そして、このご和讃が報恩講和讃と定められていることは、報恩講が信心獲得して、弥勒菩薩と同じように「必ず仏に成るべき位」に即くことを勧める仏事であることを意図しています。その意味では、報恩講とは聞法週間あるいは信心獲得週間とでもいえましょう。また、そのことを蓮如上人は「御文(おふみ)」(四帖目第八通)で この七(しち)か日報恩講中においては、一人ものこらず、信心未定(みじょう)のともがらは、心中(しんじゅう)をはばからず改恨懺悔(がいけさんげ)の心をおこして、真実信心を獲得(ぎゃくとく)すべきものなり(真宗聖典825頁)

とおっしゃっています。「改悔懺悔」とは「歎異(たんに)」つまり、自らが法に異なっていることを歎くこと、いわゆる機の深信(じんしん)です。親鸞聖人のおおせをこうむりて、如来の法を深信して、自らが愚かな凡夫であると自覚していくことです。それを経た時に、如来大悲の恩徳が謝せられてくるのでしょう。今年も大根のお斎(とき)をいただきながら、信心獲得のため聴聞させていただく所存です。