渡邉美和子
今年は暑い夏でした。一番下の息子も大学生になり一人暮らしを始めたので、子どもたちはお盆に帰って来ただけで、静かな食卓を夫と二人で囲んでいます。その私の目の前に真宗教団連合発行の法語カレンダーが掛けてあります。今まで気に留めたことも無かったのに、この8月の法語が気になって毎日食事の時に目に飛び込んでくるのです。
ほんとうの自分に 出会えない人生はむなしい
ほんとうの自分って何だろう、自分は自分でないのかなぁ、46年間生きてきた人生を、私はどうやって生きてきたのかなと、ひと月の間に自問自答する毎日でした。
わがままな自分や怒っている自分、思い通りになっていれば機嫌が良くて、思い通りにならないと機嫌が悪くなる。その私が子育てや介護をさせてもらって、人間として生かされてこの年まで来てしまいました。何処に本当の自分があったのでしょうか。すべてが私だと思うのですが。
「虚しい」を辞書で引くと「意義のあるもの、喜びを与えてくれるものが何もない。やってみたところでその甲斐が無い」と載っていました。
子どもたちは、たいへんさの何倍もの喜びや楽しさを私に与えてくれたし、介護も父や母のおかげでやって良かったと思うことができました。その子どもたちも手を離れ、父や母ももういません。これからの自分はどうしたらいいのか。昨年の名古屋御坊に林憲淳先生の言葉で「人間は一生かかかっても絶対に遇わなければいけない人がいるんです。けれどもなかなか遇えない。それは本当の自分なのですよ」と話されたと載っていました。
本当の自分に出会うのは難しいことのようです。ほんとうの自分に出会えるよう聞法していけたらいいなぁと、夏の終わりに思ったことでした。