渡辺勝美
テレホン法話の原稿の期日が迫ってきたある日、母がカゼをひいたのか咳をしている、熱もあるので病院へ行くことにしました。幾度となく通いなれた病院への道であるが、半世紀前のことが思い出されてきました。
当時、父が肺結核で自宅療養していて、時々薬をもらいに行く道でもあり、私も小学校6年生の2学期末に発病し、母に付き添われて通った道、あとは一人で徒歩や自転車で、通院していた頃のことが懐かしくよみがえってきました。
生活はたいへんであったであろう母からは、愚痴しかなかったように思います。その母が折に触れ念仏申しておりました。どうにもならないことという諦めの気持ちからかもしれません。そのことが私には、都合の悪いときの念仏だと、思い込んでいたことのように思います。
住職さんのお誘いで、同朋会に出させていただくようになりましたが、お寺などでお念仏を聞くと、なぜか母の称えていた念仏と重なって、不快な気分でした。
そんな折同朋会で、訓覇先生が「念仏(南無阿弥陀仏)申したら、申した南無阿弥陀仏は如来のものだ」と言われました。それは念仏に問題があるのではなく、念仏を不快としている、私が問題なのであると、知らされたのでした。それまでの私は、阿弥陀様とは、お寺の木像であり、絵像であり、名号であると。また、信心とは、それを信じることであると。どうしたら信じることができるのかと思っていたのです。問題なのは念仏ではなく、私なのだと気づかされたことでした。
回向(えこう)の信心は、本願であり、十八願であり、一心であり、他力の信心であり、如来回向の信心であると、傲慢な私に「遠く宿縁を慶べ」(真宗聖典149頁)と先生からのお言葉でした。
南無阿弥陀仏