020自分に遇う

藤井恵麿

半年前のことです。法友が主催している法座に参加させていただいた時のことです。(ご講師の)法話の休憩時間の時、参加者の一人が向こう方で隣の人と話しており、その内容が聞こえてきました。その方は「近頃よく家内から、あなたは人前では立派なことを言っているが、家では本当にいい加減ではないか」と言われます。しかし、その言葉には「全くその通りです」と頭が下がります。何故ならば、それが自分自身の本当の姿であって、それを家内から教えてもらっているからです。だから「はい、と素直に受け取らせていただくだけです」と、明るい表情で語っておられました。

その言葉を聞き、私はたいへん驚きました。というのは、その法座に参加させていただく数時間前まで、ある別の研修会に出席させていただいておりましたが、そこでの発表で私は失敗してしまい、そのことがずっと頭から離れないでいたからです。「こんな筈ではなかった。もっと上手く発表できたのに」頭の中は、後悔の念が堂々巡りをしている状況でありました。

そのような中で、先ほどの言葉は「失敗した事実を、本当に自分の事実として受け止めることができないから苦しんでいるのではないか」「事実と理想とがいつの間にかひっくり返っているぞ!事実に帰れ」と私に響いてきて身も心も軽くなりました。

それで次の休憩の時に、その方に先ほど私が気づかされたことを話して、お礼を述べさせていただきました。すると、その方は「まず、自分に出遇わなければ、本当に人とも出遇うことができない」と、ご自分の経験を踏まえて私に教えてくださいました。

改めて「自分に遇うことの大切さ」を学ばさせていただきました。