019深い悲しみ 

岡田豊

昨年、あるおばあさんが亡くなりました。夫を太平洋戦争で亡くされた方でした。葬儀の後、息子さんがお内仏の引き出しを整理していると、父の髪の毛が出てきました。「父は戦死したので、遺骨が戻ってこなかったのです。母のお骨と父の遺髪を一緒にお墓に納めたい」とおっしゃるので、そのようにしました。「これでやっと親父とお袋が一緒になれたなぁ」という言葉が印象的でした。

靖国神社の写真と、遺髪の納められたお内仏と、軍服姿の父の遺影の下で営まれた家族の生活はどのようなものだったのだろう。覚悟していたとはいえ、幼い子どもを抱えて残された妻の悲しみ、苦しさ。軍人と崇められ、名誉の戦死と称えられていたのに、戦後一変してしまったという悔しさがあったはずです。しかし、お寺の住職も含め、私たちはこの悲しみに目を向けてこなかったのではないかと、その時思いました。

今日の小泉首相の「靖国参拝」の根底には「誰も分かってくれなかったじゃないか。靖国神社だけが慰めてくれる場所だったんだ」というような遺族の方々の感情があるように思えます。そして一方「あなたたち日本人は、日本の軍隊が我々にもたらした苦悩を本当に分かっているのか。分かろうともしていないじゃないか」というのが湧き起こるアジアの人々の声ではないかと思います。

つまり、私たちは隣の家族の悲しみの声にも、アジアの人々のうめき声にも、聞く耳さえもたず、戦後の自らの平和と繁栄を追い求めてきたということです。もちろん、人の悲しみを我が悲しみとすることは簡単なことではありませんが、このことに思いをいたすならば、悲しむべきことを悲しむことができず、また、自らの課題なのに、なかなか課題にならないという、いつの間にか自己充足して傲慢となっている私たちの姿が照らし出されてきます。