005自分 

藤井信

毎日の生活の中では、時々何をやってもうまくいかない時があります。そんな時に限って、さらに悪いことが続いたりします。自分のとった行動が裏目に出たり、自分の言葉を思いもよらないように解釈されたりします。

お参りに行ってお話をしていると、こんな話を聞いたりします。不幸なことが続いて、占いなどで見てもらった等の話です。そんな場合よくありがちですが、先祖の誰々があなたをすがっている等、不幸の原因が先祖のせいになります。もし本当にその言葉をそのまま信じることができるならば、自分にとってはとても都合がいいですね。なぜなら、あなた自身には責任はないと言われているようなものですから。話は戻りますが、何をしても物事がうまくいかないことが続いていた時に、ふと叔父のお寺の報恩講で、講師の先生が話されていた言葉が頭によみがえってきました。

高光一也という方の言葉ですがこんな言葉です。「人間は朝から晩までいろんなことをしゃべっている。いかにも分かったようなことを言っているが、人間の話している言葉は、つきつめれば〈そんでも、そやけど、あいつが、こいつが〉の四つの言葉を繰り返しているだけではないか」と。

なるほどと思いました。確かに私たちは、人が寄ればこのような話ばかりです。〈そんでも、そやけど〉と言い訳ばかりで自己を弁護し、〈あいつが、こいつが〉と他人に責任を転嫁してばかりの生活に明け暮れています。

私たちは、そのようにしていつまでたっても同じ過ちを繰り返し、大切な時間を空しく過ごしています。悪いことといっても、結局は自分にとって都合が悪いことというだけなのです。自分の姿を正直に引き受けることなく、他のせいにして逃げてばかりいる、そんな自分を言い当てられた言葉でした。