003摂取不捨 

員辨暁

最近、新聞やテレビを見ておりますと「自殺」ということが毎日のように報道されております。人が自殺に至るまでの苦しみや悩みの内実は、人により様々だと思います。本当に悲しいことでございます。私たちは日常生活の中で、物事が自分の思い通りに進んでいる時には、あまり〈いのち〉というものを深く考えることはないのですが、逆に物事が自分の思い通りに進まなくなると、自分の〈いのち〉ということを深く考えることになります。自分の〈いのち〉はこの世に本当に必要なんだろうか。本当は必要ではないのではないか。もし、必要でなければ捨ててしまえ、というように、私たちは自分の〈いのち〉を自分の思いや、自分の都合によって考えていることが多いようです。

そんな中、あるお寺の掲示板に次のような言葉が書いてありました。「あなたが〈いのち〉を見捨てても〈いのち〉はあなたを見捨てない」という言葉です。私たちの思いや考えで自分の〈いのち〉見捨てることがあっても〈いのち〉そのものは私自身を見捨てないということです。

私たち浄土真宗のご本尊である阿弥陀様のはたらきは、「摂取不捨」という言葉で表されます。分かりやすくいうと「選ばず」「嫌わず」「見捨てず」という言葉になるそうです。私が今までどんな歩みをしてこようとも、決して阿弥陀様は選んだり嫌ったり見捨てたりしないということです。私たちは自分の思いの中に閉じこもってしまうと、必ず行き詰ってしまいます。私たちがお念仏を称えるということは阿弥陀様の広く深いおこころに出遇うことなのです。

改めて「あなたが〈いのち〉を見捨てても〈いのち〉はあなたを見捨てない」この〈いのち〉とは、阿弥陀様のおこころです。