中村英一朗
推進員研修のため本廟奉仕団として宿泊研修に参加してから7年が過ぎました。当時は無我夢中で、追い詰められた生活の中で真宗門徒としての第一歩「帰敬式」に参加し、仏弟子を名告(なの)り、宗祖親鸞聖人のご真影の前で終生聖人の御教えを問い訪ねることを宣誓したことが思い出されます。
研修は「日程に追われる受講」とあって曖昧な態度で、自ら信心を獲得し、同朋、同行としての歩みを始める自覚よりも、同朋会館での生活はとかく観光客の目で廟堂を眺めていたことを深く反省いたしております。
以後幾度かの本廟奉仕を経験し、その度に廟堂の各所から、同朋が信心の証としてその拠りどころを建立し、護持してきた信仰の深さ、大きさに気づかされます。
日々の生活では朝夕のお内仏の前で勤行や諸行事ほかの研修会には積極的に参加をいたしておりますが、宗祖は「信心の要」は如来の誓いを聞いて疑う心のないこと、この信の定まる時、往生も定まり成仏すると教えてくださっています。そして、その信心は私が獲得するのではなく如来から賜るもの、信心が得られるのは他力を憑(たの)む以外にないと、深く信ずる心をもつことであると教えてくださいます。
今、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念行事として「真宗本廟両堂のご修復」が進められております。これも真宗門徒の真の信心とその伝統の力の息吹の偉大さを感じ取り、これを相続することは「信心の拠りどころ」とすることではないでしょうか。
私は推進員の活動としてお寺のご協力を得て宗祖のご命日の日を「二十八日講」と名づけ、ささやかではありますが、月テーマを決め定例として「信心の拠りどころ」を確かめ合っております。課題は尽きません。けれども「聴聞を続けることが信心」との教えを思い出しながら「朋」と喜び合える聞法に精進し、その輪を広げたいと思います。