片山寛隆
情報社会という時代は、知っていなければ時代遅れであるとか、ITについていけなければ取り残されるという風潮が、大手を振ってまかり通っている時代、機械万能の現代といっても過言ではありません。しかし、一旦銀行のITシステムが故障してしまうとパニックになってしまって大混乱が起きたこと、万全のシステムが整備され、間違いが起こることはありえないと人間の理性を過信している中で、いろいろなひび割れが生じてきている時代でもあります。
今年もこの年末に、1年の世相を表す漢字が発表され、それは「災」という字だそうです。そして、その災いの多かった1年から、来年こそはとまた新しい1年の繰り返しが始まっていくことでしょう。
人間の「災い」とは、『末燈鈔』に人間の「ききわけ、しりわくるなんど、わずらわしくはおおせ候やらん。これみなひがごとにて候うなり」(真宗聖典605頁)と、理性万能に疑いをもたない在り方への問いかけがあります。
「聴聞」とは、ただ聞くということであり、そのただができない思い込みで聞くという在り方は間違いであると、人間至上主義の在り方を厳しく教えられていることを大切にしていきたいものであります。