大賀ゆかり
私には2人の子どもがおりますが、今年は2人ともに受験を控え、親子で落ち着かない日々を送っています。
受験に当たり、学校や塾が開催する説明会に参加しますと、近頃よく耳にする「勝ち組」「負け組」という言葉が引用され、とても不快な言葉で、反発心が芽生えてくるのですが、みなさんはどう思われますか?
「勝ち組」になったら、いったいどのような人生を送れるのでしょうか。「負け組」になると、無惨な一生になるのでしょうか。でも、「勝ち組」と位置づけられるのは、ほんのわずかな人数でしょうし、ほとんどの人は「負け組」と位置づけられてしまうことになります。
また先日、とある県の副知事がPTA研究大会の挨拶で、不登校の子どもを「不良品」と発言した問題も記憶に新しいことですが、どちらも企業の不況に立ち向かう生き残り戦略や、製品管理から出てきた言葉のようです。能力主義とか、すべてに白黒をつけていくような社会的な流れが影響しているのでしょうか。
企業や製品ならまだしも、子どもたちを物と同じ扱いにして、人の生き方や価値を「勝ち組」「負け組」という簡単な言葉で判断してしまうのは、おかしいことだと思います。
お釈迦さまは「汝は汝になればよい、汝は汝であればよい」とおっしゃっていますが、私が私になるには、勝ちも負けもないことだと思います。他人や世の中の偏った判断に振り回されない自分らしい生き方を求め、自分という存在はかけがえのないものだということに気づくことが大事なのではないでしょうか。