川瀬智
10月中旬本山同朋会館において、久留米教区組門徒会本廟奉仕団の方と研修会をさせていただきました。その中のお一人76才の男性が、お念仏との出遇いを次のように語られました。
私にはたいへん物静かで無駄口を言わない祖父がいた。しかし、一つだけ頑固なところがあった。どんなことがあっても夕事勤行を毎晩必ず勤める人であった。私も学校を出るまではいつも家族全員とお勤めをしていた。しかし、卒業をし青年団に入って外に遊び仲間ができた頃から、遊びが面白く、酒がすすめば時間を忘れ、ついつい午前様の日々が続いた。
それでも祖父は自分が帰るまで夕事勤行を待っていた。午前様になって帰ると、祖父が「帰ったか。お夕事をするぞ」と、仏間に入り灯心に火をつけ、ただお勤めをする。そんな祖父が疎ましく思え、待っとらないいなといつも思って午前様をしていた。
九州の夕刻は本州とは半時間ほど遅く、野良仕事を終え片づけが済むのは8時半頃であり、父や母は野良仕事の疲れから早く寝たいが、私が帰るまで夕事勤行をしない祖父に遠慮をし眠れなかった。ある日母より、皆困っているから早く帰るようたしなめられた。それからは、早く帰るよう心がけたが、よく午前様になった。だが祖父は文句の一つも言わず、ただただ自分が家に戻るのを待ち、一緒にお夕事をする生活をしてくださった。
おかげで、現在も必ずお内仏に手を合わせて、お勤めをし念仏申さないと眠れない身にしていただいた。本当に祖父こそ、私に念仏を教えてくださった人です。と、このように祖父を善知識といただかれておりました。
中村元氏の『仏教語大辞典』には、恩を知る人の言語は「カタンニュー」、直訳すれば「なされたことを知る者」とあります。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
と、恩徳讃をいただく度、「なされたことを知る者」どころか、弥陀大悲の恩徳を忘れ、釈尊そして三国七祖をはじめ善知識の恩徳を忘れる生活に身が縮む私です。