児玉邦男
私の住むいなべ市藤原町には、坂本そして大貝戸という、ここ数年来、台風・集中豪雨に見舞われるたびに土石流が発生する2地区があります。
過去に、テレビ・新聞などで、九州の普賢岳をはじめ、他の地区での土石流発生災害が報道されるたび、単なるニュースであり、私とは無関係な遠くの災害として生活していました。昨年、坂本地区の自治会長をおおせつかり、指示に従い「避難する」身であった私が集会所を解放し、住民の方々に「避難してもらう」立場になりました。
台風による集中豪雨が私たちの地区を襲い、土石発生を知らせるセンサーが感知し、警報サイレンが鳴り「避難勧告」が発令されて、集会所・文化センターなどに「避難」しなければならない時、私の心から「また、避難か、自分が自治会長になってから、これで何回目や。やけに多いな。もうこれで4回目やないか、自主避難入れたら、もう7回になるやないか」という声が聞こえます。
急ぎ、集会所へ向かう時、雨の中、音を立てて流れる土砂、流木を目の前にして「土砂止めの3基の砂防ダムはどうなっているだろう」「自分の家は大丈夫だろうか」という思いは、いつしか「台風が来なければ、こんな目にあわないのに」「自分の地域ではなく他の地域なら良かったのに」と、自然に邪悪な心が拡大してゆく私に気づかされた時、親鸞聖人が『正信偈』にてお示しいただいた「邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅうじょう)」は、何処かにいる誰かではなく、今まさにここにいる自治会長という、公の任務をいただいていても、我が身の事実は自己中心を一歩も出ない私、と頭が下がりました。