福岡裕
家の改築工事が始まり、自宅の風呂が使えなくなり、家族で銭湯に行かなければならなくなりました。内風呂の時はそんなに気にしなかったのですが、子どもに風呂に入る作法を教えなければなりません。銭湯につかる前にはかかり湯をしなければならないこと。身体を洗う時には隣の人に気をつけて洗わねばならないこと。いろいろ細々と言いました。銭湯にも慣れた頃、どうやって銭湯につかるのかを見ていたら、ちゃんと言いつけを守っていたので少し安心しました。
ある日のこと、年齢は20歳過ぎくらいの若者が銭湯にタオルをつけて気分よさそうに入っていました。そこへイレズミを彫った怖そうな人が、その若者に向かって、「オイ、兄ちゃん。銭湯にはタオルはつけんもんや」と一言。それを聞いた若者は慌ててタオルを銭湯から取り上げました。その光景を見た時、学生時代に先輩から注意を受けたことがよみがえりました。「人に迷惑をかけるな」とよく言いますが、でも、知らないうちに迷惑をかけているというようなことはよくあります。他人から注意されて初めて気がつくということがあります。銭湯にタオルをつけていた若者も、人に迷惑をかけているなどとは思っていなかったのでしょう。誰しも迷惑かけたくて迷惑かけるものでもないし、知らず知らずのうちに迷惑をかけているのが実際ではないでしょうか。
『歎異抄』第5章は「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」(真宗聖典628頁)と伝えています。私たちの住んでいる娑婆世界は誰彼無しに迷惑をかけあいながらも、お互いに戒めあって生きていかなければなりません。特に現代では、自分の家族ということにこだわり、ややもすれば問題をかかえて、その中に引き籠ってしまう我々に、「共に生きる」という根源的な意味を示唆しているように思います。