渡辺恵
今年も多くの方が、神社仏閣へと初詣に行かれたことと思います。初詣は、日本人の習慣になっていますので、何の疑問もなく行かれると思います。
そこで、一度初詣の中身について改めて考えてみたいと思います。
初詣の目的は何かといえば、神仏に祈り願うことです。何を願うかといえば、無病息災、商売繁盛などで自分の都合です。願いというと聞こえはよいですが、中身は欲ということでしょう。祈り願うことの中身についての意見が朝日新聞の読者の声の欄に載っておりました。それには「請求書付きの祈り多すぎる」という表現がしてありました。初詣の内容を言い当てられている意見であると興味深く読まさせていただきました。この請求書付きの祈りの内容とは、私の願いで中身は欲ですから、私の思い通りになりたい勝手な思いです。何故思い通りになりたいと願うかといえば、思い通りになることが幸せになれることと思い込んでいるからです。そうなりたいと神仏に対して請求書ばかり出しているということです。
しかし、無病息災を願うということがありますが、考えてみれば現実は老病死の人生を生きているわけですから、無病息災は不可能なことになるわけです。請求書は出すが、それに対する領収書を受け取れないのは、請求書の方に問題があるからです。請求書を出している者自身の問題はどうなっていますかと、逆に仏さまの方からの請求書を受け取らない限り、本当の領収書はいただけないはずです。その領収書とは、自分の思い通りになりたいと請求書ばかり出している私が、請求書を出す必要のない私であったと仏さまの教えを通して気づかされることではないでしょうか。
初詣を縁として我が身の在り方を考えていただきたいと思います。