花山孝介
報恩講は、私たち真宗門徒にとって一番大事な仏事ですが、一体、私たちが報恩講を勤めることのもつ意味とは何なのでしょうか。
私たちは、過去を振り返りながらいつも未来に希望をもって生きようとしています。しかし、今日の社会は、不況・就職難・リストラ等の身近な問題から環境破壊・遺伝子操作の問題、更には、新たなる戦争へと向かう国際社会の在り方、そこでは、何一つ問題が解決されないまま、より大きな事件が勃発している現実にあって、いつしか未来への夢や希望を抱くことができなくなっています。
かつて坂本九さんが歌った「明日があるさ」という曲が近年リバイバルされて大流行しました。曲名を見れば、明るく未来に向かって希望を抱かせる言葉ですが、今日の世情に照らすと、何となく悲しげな言葉に聞こえるのはなぜでしょうか。行き先の見えない未来に不安を抱いた心の裏返しのように、それはどうしようもない「今」を紛らわす嘆きの言葉にさえ聞こえ、そこに空しささえ感じるのは私だけでしょうか。
しかし、よくよく考えてみると、その空しさは、単に未来を悲観し絶望するだけではないのかもしれません。空しさを感じるその奥底には、実は「今」を大切に生きたいという願いの表れではないかと思います。
どのような出来事に遭遇しても、全ては無常の人生の一場面です。だからこそ、全ての出来事は同時に一度しかない出来事です。自分の意に添うか否かはありますが、それでもいのちの一瞬一瞬の大切な出来事です。
これからの人生、自分の思い通りの未来が来るか分かりません。その意味では、不安を払拭することはできません。しかし、それだからこそ光り輝くような「今」を大切に生きたいというのが、、私たちの深い願いであり、そのことを聞き開く所に、報恩講という仏事があります。