024鳥

藤井 信

先日、猫が車に轢かれたのでしょうか、道端で死んでいました。よくある光景と言えばそれまでですが、そのことで思い出したことがありました。

ある日の午後、お参りのため車を走らせていました。普段よく通る、あまり広くない道にさしかかった時、前方に車が連なって渋滞していました。この道で車が混んでいることなど今まで経験したことがありません。「何か工事でもやっているんだろうか?」約束の時間に遅れそうなので少しイライラしていましたが、車は一向に動き出す気配がありません。やがてやっと車が動き出し、なぜ道が混んでいたのかが分かりました。その原因となっている場所にさしかかると、二~三人の少年が立っていて、そのうちの一人が両手で鳥を大事そうに持っていました。見れば、鳥は怪我をしているようでした。おそらく、傷ついた鳥を保護しようとしてなかなかうまくいかず、そのために車が混んでいたのでしょう。少年たちは自分たちの行為を誇る様子もなく、ただ満足そうな顔をしていました。

世間では、よくいろんな動物たちが入れ替わり立ち替わりブームになっています。しかし、ブームという言葉が示すとおり、やがてその熱も冷めてしまうものなのです。しかも、そのことは当の動物が望んだものではなく、人間が勝手に無関心になるのですからいい迷惑でしょう。いかにも人間の身勝手さを示すものではないでしょうか。生き物のいのちそのものより自分たちの都合を大事にしているのではないでしょうか。

仏典童話に「いのちは誰のものか。それはいのちを傷つけようとする人のものではない。いのちを育もう、いたわろうとする人のものだ」とあります。私も「時間に遅れる、忙しい」などいろんな自己関心ばかりに心を奪われて、いのちそのものからの問いが聞こえなくなっていたようです。少年たちの飾らない満面の笑みに教えられたことでした。