035同朋とは?

片山寛隆

今年はワールドカップで夏の幕が開き、日本中がサッカーに熱中しました。まさか、日本チームがあれほど善戦するとは夢にも思っていませんでしたが、現実には16強に仲間入りするという快挙を挙げ、日本中大フィーバーしました。

日本が16強に入った時に某知事がテレビのインタビューで「このワールドカップを日本で開催したことは日本人にとって民族と国家ということを体験できた良い機会だった」と発言していましたが、その後、日本が敗れても、民俗を越え国家を越え、最後まで応援したことは周知の事実です。

ところが、準決勝の前日に韓国と北朝鮮との間に海上でのトラブルがあり、準決勝を前にして「ワールドカップに水を差す北朝鮮を許せない」という、北朝鮮を非難する声が世間で充満しました。

しかし、私たちは忘れてはいないでしょうか。北朝鮮も含んでのワールド(世界)ということを…。思いを共有するものだけ、利益を共有するものだけが仲間ではありません。過去に我々日本では、「同胞一和」という言葉のもとに他を排除し、仲間意識を強要して過ちを犯してきました。

仲間意識に捕らわれる「同胞(はらから)」ではなく、親鸞聖人が思いを越え、利害を越え、血を越えて、真実の教えを共にする「同朋」ということを、今一度尋ねねばなりません。