三和清光
今年は同朋会運動が提唱されて40年になることであります。
40年前、1962年といいますと、戦後の混乱期より17年が経ち、日本国内も落ち着きかけた頃でありますが、そのような中私たち大谷派より湧き上がった純粋なる信仰運動が同朋会運動であります。
その後、種々なる問題が惹起し「門徒一人もなし」とする私たちの体質そのものが問われてきました。しかし、私たちはこのような問題を本当に自己を問う縁としてきたのでしょうか。むしろ、問題収拾と対応のみに終始することになってしまっていたのではないでしょうか。
同朋会運動ですから、信心回復運動であり、僧伽の形成を願いとした運動であります。しかし、時として同朋・会・運動となり、組織や連携が重視され、政治的な運動になってしまいます。勿論それらも大事なことではありますが、あくまでも同朋会運動とは、一人ひとりの自己を問うていく聞法の縁になっていくということであります。同朋会運動の具体的な実践として「推進員の養成(帰敬式の受式)」「本廟奉仕」「特別伝道」が三本柱として掲げられました。これらが全ての運動目標ではありませんが、同朋会運動という言葉を使うことにより、自己満足し、いかにも運動として働いた形に酔いしれていたのではないかと自問自答しておることであります。
真宗人であるならば、今一度自己の点検が必要ではないでしょうか。そして全人類が救われていく宗教として、本来願われてきた信心回復運動が、今日只今希われてくるのであります。